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田部井淳子展 若い頃は岩登りの訓練、晩年はリハビリで登った日和田山 (日高市高麗本郷)

女性として世界で初めてエベレストに登頂した登山家、田部井淳子さんの回顧展が、日高市高麗本郷の高麗郷古民家で開かれている(2025年9月19日~30日)。高麗本郷の日和田山に、田部井さんが若い頃は岩登りの訓練に、晩年ガンを患ってからはリハビリのため通った。会場には、田部井さんの77年の人生を振り返る写真類が展示されている。展示会を企画した高麗1300の平野直樹事務局長にご説明いただいた。

田部井淳子さん

三春町の出身、川越に居住

田部井さんは福島県の三春町の出身ですが、結婚当初は都内に住み、しばらくしたら川越に転居し川越で亡くなりますが、今もご主人の政伸さんは川越に住んでいます。若い頃は政伸さんと一緒に日和田山に来て岩登りの訓練をしたそうです。エベレストを目指すときも通ったそうですよ。また、晩年ガンを患ってからは、日和田山にリハビリのため通い、多い時は月に3回も4回も登ったそうです。日和田山は305mの低い山ですが、木立の中だったり木の根が張っていたり、岩場を登ったり、多彩な顔があり、ハイキングにもリハビリにも適しています。

日和田さんの田部井さん
2012年日和田山の田部井さん

 今年は、田部井さんが女性で世界初のエベレスト登頂を果たしてから50年の節目の年です。また今年10月末には田部井さんがモデルの映画「てっぺんの向こうにあなたがいる」が公開されます。ちょうど近くの巾着田で曼珠沙華まつりが開催されるのに合わせ、当地とご縁のある田部井さんの回顧展を、日高市観光協会として企画いたしました。

映画「てっぺんの向こうにあなたがいる」
映画「てっぺんの向こうにあなたがいる」

「私の夫選びは大当たりだった」

  田部井さんが初めて山に登ったのが小学校の先生に連れられた茶臼岳・朝日岳でした。山に魅せられて、谷川岳に通う中でご主人

初めての登山
小学校4年初めての登山

と出会い結婚された。ご主人もちょっと知られた登山家だったそうです。田部井さんは著書に「私の夫選びは大当たりだった」と書いています。出会った頃、たまたま同じ赤いカッターシャツを着ていて、二人ともすり切れるまで大事に着ていた。結婚当初、政伸さんは淳子さんより活発に登山をしていましたが、ヨーロッパの3大北壁に登った際、足の指が凍傷にかかり帰国後切断してしましました。その後、淳子さんの登山が本格化、女性だけでヒマラヤを目指す女子登攀クラブを結成します。1970年のことです。

谷川岳
谷川岳
おそろいのカッターシャツ
おそろいのカッターシャツ

1975年女性として初めてエベレスト登頂

  どうせ登るなら一番高いエベレストを目指そうと登山隊を結成して副隊長・登攀隊長に。王子で借りた倉庫の荷物の量と入念な準備がすごい。スポンサーをつけずに皆さん自腹で資金を工面した。

エベレスト女子登山隊
エベレスト女子登山隊
資金を工面するために英語を
資金を工面するために英語を教える

登ったのは1975年。6400mの第二キャンプで雪崩に遭って、一時は絶望的と報じられました。しかし、下のキャンプにいた隊長の判断を仰ぎ最終的には淳子さんが登頂。有名な日の丸を掲げて頂上に立つ田部井さんの写真と田部井さん本人が撮った中国側の山々を撮った写真があります。実は11日後に中国側から中国の女性バンドゥウさんが登頂しています。その後、二人は交流を繰り返したそうです。

頂上に立つ田部井さん
頂上に立つ田部井さん
頂上から見る中国側の山々(田部井さん撮影)
頂上から見る中国側の山々(田部井さん撮影)

 ベースキャンプに下山して盛り上がっている写真やカトマンズでの祝賀パーティの写真があります。女性だけでエベレスト登頂のニュースは、日本でも大々的に報じられました。私もテレビで観た記憶があります。

登頂後
登頂後

7大陸の最高峰制覇

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 田部井さんは、登頂後の記者会見で「エベレストの次は?」と聞かれ、「南極」と答えています。結局、7大陸の最高峰にすべて登った。これも女性として世界初です。田部井さんは、「私は登山家ではない、登山愛好家よ」と言っていました。それは、「とにかく登ってみたい。見たこともない景色を見たいから登っている」ということです。

  国内外問わず、数々のありとあらゆる山に登っています。自宅の屋根裏部屋には里山から8000m級の山までいつでも登れる装備が揃っていました。2009年NHKのロケでは内多アナウンサーと北アルプスに23日間登りっぱなしだったそうです。エベレストのゴミ問題でも活動。還暦になりシャンソンを始めます。山仲間とレッスンして、コンサートも開きました。

屋根裏部屋
屋根裏部屋
NHK内多アナウンサーと
NHK内多アナウンサーと

ガンで2012年には余命宣告

  若い時乳がんにかかり寛解しましたが、2012年に再発、余命宣告されました。子どもさんは2人いらっしゃいますが、ガンになって息子が優しくなったと田部井さんは言っています。

2013年息子の進也さんと
2013年息子の進也さんと

ガンになってからも登山は続きます。東北出身なので震災に心を痛め、毎年東北の高校生を富士登山に連れて行く催しを始めました。年によっては病院から登山し、終わると病院に戻りました。2014年までは頂上へ立ちました。15年は悪天候のため6合目で中止となり、16年7月は、高校生たちは登頂したものの、田部井さん本人は7合目まででした。亡くなる3か月前のことでした。また、海外登山は16年5月に登ったスマトラ島最高峰のクリンチ山が最後となりました。同年10月20日、川越市内の病院で亡くなりました。

東北の高校生を富士山に
東北の高校生を富士山に
2016年最後の海外登山
2016年最後の海外登山

日和田山の登山口に記念碑

 田部井さんがよく登った日和田山の登山口に、2019年、地元有志が140名の支援を受けて「日和田山からエベレストまで」と刻んだ記念碑を建てました。毎月20日の月命日の「思い出登山」には、淳子さんを慕う方々が日和田山を経て物見山頂上に、今も各地から集まります。三春町には今年4月田部井淳子記念館がオープンしました。淳子さんがエベレスト登頂の際に使用した登山用品など数々の遺品が展示されています。

記念碑
記念碑

 東北の高校生の富士登山は淳子さん亡き後、息子の進也さんが、淳子さんが目標に掲げていた高校生千人をめざして継続しています。2025年10月13日、田部井進也さんの講演会を開きます(13:30~15:35、会場高麗神社、主催:高麗神社)。⇒申し込み受け付けは終了しましたが、高麗神社参集殿1階ピロティーにモニター会場を設けます。事前申込不要、当日直接お越しください。

展覧会場と平野さん

「高麗1300」ホームページ