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東上線 乗り越し日記

酒に酔って電車に乗り、降車駅を乗り越してしまう。誰でも経験のあることだが、富士見市のUさんの場合は、はんぱではない。どれも、びっくり、そして笑いを誘う。Uさんは、大手流通業勤務時代を含め、仕事でもおおいに活躍された方で、乗り越しエピドードは仕事人生の合間の息抜きのようなものかもしれない。Uさんに体験を語っていただいた。

東上線を50年利用

-Uさんはおいくつですか。

 現在76歳です。真珠湾攻撃の5日後に生まれています。

-どんなお仕事をされていたのですか。

 昭和40年に大手流通業に入社、23年勤めました。その後某大学に移り、27年勤続。現在は、創業支援講座や働き方カウンセリングなどの指導助言と、流通業などの経営コンサルタントの仕事をしています。

-東上沿線にはいつから。

 私は元々東京の出身ですが、28歳の時に鶴ヶ島に家を買い、その後買い替えて鶴瀬(富士見市)に来ました。50年近く東上線にお世話になっています。

寄居駅の跨線橋で夜を明かす

-乗り越しの経験が多いそうですが、いくつか紹介いただけますか。

 酔っぱらった時のエピソードはさんざんありますが、東上線の一番奥まで乗り越したのは、寄居まで行ったことです。飲んで池袋から乗り、気がついたら寄居でした。寄居ということは、小川町から乗り換えているはずですが、記憶にありません。戻ればよいのに、わざわざ乗り換えてさらに先に行ってしまったわけです。寄居に着いて当然、駅員に起こされます。「旦那、電車は終わりだよ」。戻る電車はありません。駅舎は寝かしてくれないので、仕方なく、線路をまたぐ渡り廊下で朝方まで待ちました。2,3時間したら始発が出るはずだから待とうと。夜が明けて、少し駅前を散歩したのを覚えています。そして始発に乗って帰ってきました。

森林公園の車庫へ

 同じようなのは森林公園です。やはり池袋で飲んで、乗って、目が覚めたら森林公園の車庫でした。普通なら駅で車掌が見回り、降ろされるじゃないですか。それが見落としたのか、車庫まで行ってしまった。駅員に見つかり、「降りろ」という。しようがないから飛び降りました。へべれけではないが、酔っぱらって、困ったなとあたりを歩いていたら、たまたまタクシーが来たんです。それに乗って、鶴瀬に帰ってきた。飲み代よりはるかに高い金を払わせられました。上福岡までの乗り越しはしょっちゅうやっていました。タクシー代は1800円くらいですが、森林公園だと万の単位だったかもしれません。

田園都市線を往復

 大学勤務の時代ですが、三軒茶屋(世田谷区)で皆でいっぱいやり、別れたのが10時頃だと思います。気が着いたら中央林間(田園都市線終点、神奈川県大和市)で、起こされた。私は渋谷で半蔵門線に入り、永田町で乗り換えて、有楽町線で帰ってくるのが経路でしたが、田園都市線をおそらく2往復くらいしたんだと思います。12時を過ぎており、もう戻る電車はありません。私は、すぐ始発だからホームで寝かしてくれと頼んだのですが、ダメだと。それで、外へ出て、タクシーに乗って、運転手にどこか泊まれるところはないかと聞いたら、スーパー銭湯を紹介してくれました。よい風呂でした。

エスカレーターの前で電車を待つ

 もう一つ、傑作は、永田町駅。ここで私は、田園都市線(半蔵門線)から有楽町線に乗り換えています。永田町駅は、半蔵門線から有楽町線ホームに下りるエスカレーターが非常に長いです。ある日、私は酔っぱらって、エスカレーターをホームと勘違いし、脇で20~30分ほど電車が来るのを待っていたことがあります。来るはずがないです。他の人は、あのじいさん何をしているのだろうと思ったでしょう。待っても来ないのでおかしいなとよく見たら、エスカレーターの手すりでした。

終電に乗り、1つ目の駅で降りる

U 終電に乗って1つ目で降りてしまったこともあります。西武線の駅ビル店舗に勤務したことがあり、皆で飲んだ。当時は鶴ヶ島に住んでおり、所沢、川越で乗り換えなければいけません。遠いから、終電に乗るからと乗ったんですが、すぐ寝てしまった。1つ目の駅であわてて飛び降りてしまいました。タクシーで帰りました。

気を許すと寝てしまう

-お酒が好きなのですね。

 私は独身の頃は、酒は好きではありませんでした。今でも、宴席などで飲まない人には酒をすすめません。気持ちがわかりますから。そのうちだんだん好きになってしまって、飲んじゃうんです。今では日本酒でもなんでも。一本でやめておけばいいんですが。

-飲むと寝てしまう。

 みんなと一緒にいるときは、結構普通にしているし、吐いたりした経験もありません。

 周りから見ると、普通なんです。ところが解散して電車に乗り、一人になると、コロッと寝ちゃうんです。解放され気楽な場になると安心して寝ちゃうようです。

私は犬を飼っていますが、ある時、酔っぱらって帰って、湯沸かしポットと犬を間違えました。うちの犬は白い犬で、ポットも白でした。お茶を飲もうと思い、ポットの上部を押したつもりが犬でした。犬の前に湯のみ茶碗を出し、犬の頭を押していたわけです。犬は何だろうとにおいをかぐ。家内から、「あなた何をやっているの」。笑い話です。

事故、暴力やセクハラはない

-今まで事故もなくよかったですね。

 よく酔っぱらいますが、私の場合、悪酔いして人にからんだり、暴力とかセクハラは一切やっておりませんので、助かっています。ただ、寝ちゃっているだけですから。寝ちゃうのがいけないんです。

-東上線の人たちにはお世話になっている。

 東上線には迷惑をかけています。ありがたいと思ったのは、息子がくれた上等の革製のカバンを駅のベンチに忘れたことがありました。おそらく和光市駅で準急か各駅に乗り換えた時に置き忘れたのだと思います。駅員がちゃんと確保してくれていました。

-乗り越しの教訓は何かありますか。

 予備費ですね。私はいつも財布にタクシー代くらいは入れておくようにしています。また、お金を2分割して、手帳にも入れておく。財布を落としても、何とか家に帰れます。

会社の原型を作る

-流通業ではどのようなお仕事を。

 当時、スーパーは販売方法も新しく、メーカーから直で仕入れ、流通経費の削減ということで「流通革命」と言われました。私が入社したのは、百貨店の子会社として会社が誕生して2、3年目でした。私はそこで規定から何から多くを作りました。今の多店舗展開のシステムの原型づくりに貢献したのではないかと自負しています。会社はすごく成長しました。

-大学に移ったのは。

 初めはチャレンジ精神にあふれていた会社が、大企業になり、冒険心がうすれ、保守的に変わりました。私自身も、いい位置にいたのですが、つまらなくなり。そこに大学から、経営が大事になり実務を経験した人を求めているとのお話がありました。大学では、学園本部の管理部の仕事を長く務めました。

 

今も経営コンサルタントの仕事

-今は。

 大学では役職定年後、キャリア支援センターで学生や、卒業生のめんどうを見て、現在はオープンカレッジの起業養成講座の相談員をしています。他に、自治体が運営する住民のための進路相談の相談員。キャリアコンサルタントの仕事です。

-企業やお店の経営指導もされている。

 私は元々経営コンサルタントをやりたいという希望があり、流通業の時の経験を生かして、店づくり、どう繁盛させるかなど、今餃子屋さんとかレストランとかいろいろなところのお世話をしています。

-サラリーマンとしても実績を残され、いまだに現役で活躍されているのは素晴らしいと思います。

 私は組織人として、2階級特進みたいなエリートの経験もしているけれど、失敗も多く、ドラマのように、電話も何もない部屋に隔離されたこともあります。上司と衝突して。サラリーマンは上司に逆らったら勝てっこないことはわかっていますが、がまんできずに。しかし、当時、とんでもないと思った上司でいまだに仲良くしている人もいます。

プラス思考をしなさいと申し上げたい。あまり悲観的に考えず、よい面を見るように。自分はそういう風に発想転換できる人間であることは幸せです。自分の長所だと思います。

             (取材2018年1月)

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