渋沢関連

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歴史

深谷市に渋沢栄一と尾高惇忠の生家を訪れる

NHK大河ドラマ「青天を衝け」が話題になり、本紙でも多くの渋沢関連の記事を掲載してきました。ただ、渋沢の出身地、深谷はこれまで訪れたことがありませんでした。そこで、ドラマの熱も冷めかけたであろう、2022年1月、初めて生家を訪問させていただ...
歴史

財政破綻を乗り切った 七分積金

東上線大山駅近くにある東京都健康長寿医療センターは渋沢栄一が貧民救済を目的に創設し長く院長を務めた養育院からつながる。この養育院の建設には江戸幕府の老中松平定信が寛政の改革で設けた「七分積金」の資金が使われた。「七分積金」は100年近くたっ...
歴史

発智庄平の家系図からみた 近隣の名家との関係

東京オリンピックのゴルフ競技が川越で開かれているのに合わせ、市立博物館で「霞ヶ関カンツリー倶楽部と発智庄平」と題する展覧会が開かれている(2021年9月7日まで)。発智庄平(1864-1936)については、すでに記事化しているが、現在の川越...
歴史

20歳で自刃、 徳川家に殉じた 渋沢平九郎 渋沢栄一の養子

渋沢栄一の従弟で養子となった渋沢平九郎。明治維新時、幕臣の子として新政府軍と戦い、20歳の若さで現在の越生町で自刃した。平九郎の没後150年を記念し、東京・北区の渋沢史料館で「渋沢平九郎―幕末維新、二十歳の決断」と題する展覧会が開かれている...
健康法と治療法、あれこれ

渋沢栄一が貢献した 養育院から連なる 東京都健康長寿医療センター

東上線大山駅近く、車窓から、豊島病院と隣り合って、巨大な施設が見える。地方独立行政法人東京都健康長寿医療センターだ。老人福祉施設のような名だが、550床、約千名の医師・職員を擁する大規模総合病院である。この病院は、明治時代に設立された救貧施...
歴史

渋沢栄一と養育院

渋沢栄一はいくたの事業を手がけたが、社会福祉にも熱心で、その中核が養育院だった。養育院の医療部門は現在、東京都健康長寿医療センターに引き継がれている。 (板橋区立郷土資料館「渋沢栄一と高島秋帆」展より) 養育院は元々大塚に本...
歴史

高島秋帆 独自の高島流砲術(西洋流砲術)築く 「高島平」の地名残す

  高島秋帆(しゅうはん)は、鉄砲を撃つ方法、砲術の専門家で、独自の高島流砲術(西洋流砲術)を開発し、幕末期に活躍した。天保12年(1841)には、徳丸原(現在の高島平)で大規模な調練を披露した。その史実を踏まえ「高島平」の地名が生まれ、板...
歴史

製紙王大川平三郎  坂戸の偉人 郷土に多大な貢献 渋沢栄一の娘婿

NHK大河ドラマ「青天を衝け」で、青年期の渋沢栄一や従兄の尾高惇忠らが剣術の稽古をする様が描かれた。師だったのが、坂戸で神道無念流の道場を開いていた大川平兵衛だ。平兵衛の孫大川平三郎は渋沢栄一の娘婿。渋沢を頼って後の王子製紙に入り、製紙業を...
歴史

飯能の歴史 飯能戦争には渋沢栄一の縁者が参加 天覧山は明治天皇ゆかりの山

埼玉県の西のはずれ、入間川と高麗川が流れ、北西に外秩父山地が控える飯能市。市街の背後に立つ天覧山は200mに満たない低山だが、眺望がよく、明治16年には明治天皇が近衛兵の演習視察で登っている。明治維新時、麓の能仁寺を含む町が飯能戦争の舞台と...
歴史

渋沢栄一と入間 繁田家との深いつながり 黒須銀行設立、豊岡公会堂建設を支援

渋沢栄一は今の深谷市出身だが、同じ県内の入間市とも深い関わりがある。特に、旧黒須村の繁田(はんだ)家とは親密で、若い時期には家業の藍商売の際立ち寄り、明治33年に繁田家が設立した黒須銀行の顧問に就き、大正12年にできた県内初の豊岡公会堂の建...
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