渋沢関連

渋沢関連

長谷川清の地域探見(24)渋沢栄一と二人の師(その2)尾高惇忠(上)

渋沢栄一の人生に影響を与えた二人目の師は、尾高惇忠(おだか あつただ/じんちゅう、以下・惇忠)です。惇忠は、文政13年7月27日(1830年9月13日)、岡部藩領の榛沢郡下手計村(はんざわぐん しもてばかむら、現在の埼玉県深谷市下手計)の...
渋沢関連

長谷川清の地域探見(23) 渋沢栄一と二人の師(その1)父渋沢市郎右衛門

今月3日から20年ぶりに新しい紙幣が発行されています。その中で新しい一万円札は、表面に明治時代日本に株式会社を導入し、産業界を立ち上げた埼玉県深谷市出身の渋沢栄一(以下・栄一)、裏面に深谷市にあったレンガ工場で生産された赤レンガを使った旧...
歴史

深谷市に渋沢栄一と尾高惇忠の生家を訪れる

NHK大河ドラマ「青天を衝け」が話題になり、本紙でも多くの渋沢関連の記事を掲載してきました。ただ、渋沢の出身地、深谷はこれまで訪れたことがありませんでした。そこで、ドラマの熱も冷めかけたであろう、2022年1月、初めて生家を訪問させていただ...
歴史

財政破綻を乗り切った 七分積金

東上線大山駅近くにある東京都健康長寿医療センターは渋沢栄一が貧民救済を目的に創設し長く院長を務めた養育院からつながる。この養育院の建設には江戸幕府の老中松平定信が寛政の改革で設けた「七分積金」の資金が使われた。「七分積金」は100年近くたっ...
歴史

発智庄平の家系図からみた 近隣の名家との関係

東京オリンピックのゴルフ競技が川越で開かれているのに合わせ、市立博物館で「霞ヶ関カンツリー倶楽部と発智庄平」と題する展覧会が開かれている(2021年9月7日まで)。発智庄平(1864-1936)については、すでに記事化しているが、現在の川越...
歴史

20歳で自刃、 徳川家に殉じた 渋沢平九郎 渋沢栄一の養子

渋沢栄一の従弟で養子となった渋沢平九郎。明治維新時、幕臣の子として新政府軍と戦い、20歳の若さで現在の越生町で自刃した。平九郎の没後150年を記念し、東京・北区の渋沢史料館で「渋沢平九郎―幕末維新、二十歳の決断」と題する展覧会が開かれている...
健康法と治療法、あれこれ

渋沢栄一が貢献した 養育院から連なる 東京都健康長寿医療センター

東上線大山駅近く、車窓から、豊島病院と隣り合って、巨大な施設が見える。地方独立行政法人東京都健康長寿医療センターだ。老人福祉施設のような名だが、550床、約千名の医師・職員を擁する大規模総合病院である。この病院は、明治時代に設立された救貧施...
歴史

渋沢栄一と養育院

渋沢栄一はいくたの事業を手がけたが、社会福祉にも熱心で、その中核が養育院だった。養育院の医療部門は現在、東京都健康長寿医療センターに引き継がれている。 (板橋区立郷土資料館「渋沢栄一と高島秋帆」展より) 養育院は元々大塚に本...
歴史

高島秋帆 独自の高島流砲術(西洋流砲術)築く 「高島平」の地名残す

  高島秋帆(しゅうはん)は、鉄砲を撃つ方法、砲術の専門家で、独自の高島流砲術(西洋流砲術)を開発し、幕末期に活躍した。天保12年(1841)には、徳丸原(現在の高島平)で大規模な調練を披露した。その史実を踏まえ「高島平」の地名が生まれ、板...
歴史

製紙王大川平三郎  坂戸の偉人 郷土に多大な貢献 渋沢栄一の娘婿

NHK大河ドラマ「青天を衝け」で、青年期の渋沢栄一や従兄の尾高惇忠らが剣術の稽古をする様が描かれた。師だったのが、坂戸で神道無念流の道場を開いていた大川平兵衛だ。平兵衛の孫大川平三郎は渋沢栄一の娘婿。渋沢を頼って後の王子製紙に入り、製紙業を...
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