中世・武蔵武士

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「足利基氏塁跡」は「鎌倉殿の13人」比企能員の館跡だった 岩殿観音正法寺(東松山市)

東上線高坂駅から県道を上りこども動物自然公園、大東文化大学を過ぎ、左手につつじの名所物見山を見る峠の右手崖下に伽藍と長い参道が続く坂東三十三観音十番札所、巌殿山正法(しょうぼう)寺(岩殿観音)。この寺は源頼朝に仕えNHK大河ドラマ「鎌倉殿の...
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源頼朝に仕え、中世毛呂山の基礎を築いた 武蔵武士 毛呂季光

鎌倉時代、源頼朝に仕えた武蔵武士の一人に、毛呂郷(現在の毛呂山町)を本拠とする毛呂季光(すえみつ)がいた。派手な活躍はなく、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場しないが、頼朝に重用され、中世毛呂地域の礎を築いた。子孫も戦国時代の毛呂顕...
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比企氏代々の墓が並ぶ金剛寺(川島町) 館跡の可能性

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」には、比企尼(ひきのあま)、比企能員(よしかず)など比企一族が多く登場する。北条氏との争いに敗れ、一族は滅亡したことになっている。ところが、川島町中山の田園地帯に建つ金剛寺を訪ねると、今に至る比企氏代々の墓...
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「『鎌倉殿の13人』の時代に狭山市で起こった事」源義高と大姫の悲しい物語と史跡 

木曽義仲の子、義高は人質として鎌倉に送られるが、義仲が討たれたのに伴い殺される。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、義高とその許嫁となっていた頼朝の娘、大姫との悲話が描かれた。義高が殺されたのは、今の狭山市の入間川河原である。義高と大姫...
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鎌倉幕府を支えた比企尼の館(三門館、滑川町) 800年守り続けた齊藤家

比企尼(ひきのあま)は伊豆に流された源頼朝を20年間にわたり世話をし、鎌倉幕府設立のカゲの立役者となった。尼の子どもたちは、時の政権内外で目覚ましい活躍をした。しかし北条氏との争いに敗れ、その後の比企氏は歴史に埋もれてしまった。ところが、来...
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金子十郎の兄 金子高範に始まる難波田氏の居城 難波田城 (富士見市)

金子十郎の兄、金子高範は、今の富士見市南畑に移り、難波田氏を名乗った。拠点とした難波田城は、復元され、周辺は公園となっている。難波田城資料館の早坂広人学芸員にお聞きした。 (本記事は「東上沿線物語」第27号=2010年1・2月に掲載さ...
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中世史に大きな足跡を残した比企氏 頼朝を支えた比企尼 子どもたちもそれぞれ活躍

伊豆に流された源頼朝の世話をし鎌倉幕府設立を支えた比企尼(ひきのあま)。その子どもたちは、時の政権内外で重要な働きをするが、比企氏は北条氏との争いに敗れ、その後歴史に埋もれてしまった。比企氏の拠点であった東松山市の西村裕さんは比企一族歴史研...
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文武にすぐれた戦国武将難波田弾正、その子孫は江戸期には旗本難波田家、維新で戊辰戦争にも参加  難波田氏800年の歴史

戦国時代の武将ある難波田弾正善銀は、現在の富士見市南畑にあった難波田城を拠点にしていたとされる。難波田氏は源平合戦で活躍した金子十郎の一族を祖とし、難波田弾正の子孫は江戸時代には旗本になり、現在に至るまでいろいろな分野で活躍している。今年は...
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ふじみ野市亀久保の 三上家

戦国時代北条氏の家臣として松山城、鉢形城で戦い、江戸時代亀久保から所沢まで開墾 ふじみ野市の旧川越街道沿いに亀久保という地域がある。同地の旧家、三上家は近江(現滋賀県)の出で戦国時代北条氏に仕え、徳川の時代になり同地を含む広大な武蔵野地域...
おすすめスポット、お店

戦国時代の城、松山城 扇谷上杉、後北条氏の拠点

東松山市の国道407号を折れて、古墳時代横穴墓群の吉見百穴(吉見町)に向かうと、正面に均整のとれた形の大きな丘陵が立ちはだかる。戦国時代の城郭であった松山城の跡だ。北武蔵の玄関口という戦略的に重要な立地で、扇谷(おおぎがやつ)上杉氏、後北条...
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