中世・武蔵武士

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中世・武蔵武士

鎌倉幕府を支えた比企尼の館(三門館、滑川町) 800年守り続けた齊藤家

比企尼(ひきのあま)は伊豆に流された源頼朝を20年間にわたり世話をし、鎌倉幕府設立のカゲの立役者となった。尼の子どもたちは、時の政権内外で目覚ましい活躍をした。しかし北条氏との争いに敗れ、その後の比企氏は歴史に埋もれてしまった。ところが、来...
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金子十郎の兄 金子高範に始まる難波田氏の居城 難波田城 (富士見市)

金子十郎の兄、金子高範は、今の富士見市南畑に移り、難波田氏を名乗った。拠点とした難波田城は、復元され、周辺は公園となっている。難波田城資料館の早坂広人学芸員にお聞きした。 (本記事は「東上沿線物語」第27号=2010年1・2月に掲載さ...
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中世史に大きな足跡を残した比企氏 頼朝を支えた比企尼 子どもたちもそれぞれ活躍

伊豆に流された源頼朝の世話をし鎌倉幕府設立を支えた比企尼(ひきのあま)。その子どもたちは、時の政権内外で重要な働きをするが、比企氏は北条氏との争いに敗れ、その後歴史に埋もれてしまった。比企氏の拠点であった東松山市の西村裕さんは比企一族歴史研...
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文武にすぐれた戦国武将難波田弾正、その子孫は江戸期には旗本難波田家、維新で戊辰戦争にも参加  難波田氏800年の歴史

戦国時代の武将ある難波田弾正善銀は、現在の富士見市南畑にあった難波田城を拠点にしていたとされる。難波田氏は源平合戦で活躍した金子十郎の一族を祖とし、難波田弾正の子孫は江戸時代には旗本になり、現在に至るまでいろいろな分野で活躍している。今年は...
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ふじみ野市亀久保の 三上家

戦国時代北条氏の家臣として松山城、鉢形城で戦い、江戸時代亀久保から所沢まで開墾 ふじみ野市の旧川越街道沿いに亀久保という地域がある。同地の旧家、三上家は近江(現滋賀県)の出で戦国時代北条氏に仕え、徳川の時代になり同地を含む広大な武蔵野地域...
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戦国時代の城、松山城 扇谷上杉、後北条氏の拠点

東松山市の国道407号を折れて、古墳時代横穴墓群の吉見百穴(吉見町)に向かうと、正面に均整のとれた形の大きな丘陵が立ちはだかる。戦国時代の城郭であった松山城の跡だ。北武蔵の玄関口という戦略的に重要な立地で、扇谷(おおぎがやつ)上杉氏、後北条...
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鎌倉源氏政権を支えた 武蔵武士とその本拠

武蔵武士は、平安時代末から鎌倉時代にかけて、武蔵国各地に割拠し、鎌倉幕府を支えた武士団である。初めての武家の政権を生む原動力となった武蔵武士とは、どのような顔ぶれで、どこに本拠を構えていたのか。嵐山町の埼玉県立嵐山史跡の博物館で開かれていた...
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戦国時代 関東の政治の中心だった 鉢形城(寄居町) 24万平米の広大な城跡そのまま

寄居町の荒川の名勝、玉淀の河原の崖上に広がる鉢形城跡。戦国時代、関東の政治の中心地であり、後北条氏の時代は北条氏邦の居城であったが秀吉軍に攻め落とされた。24ヘクタールの広大な城跡が、往時そのままの風情で残されている。鉢形城公園内の鉢形城歴...
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菅谷館と大蔵館を歩く 畠山重忠から木曽義仲へ

埼玉県比企郡嵐山町の県立嵐山史跡の博物館は、国指定史跡菅谷館跡に立地している。菅谷館は、鎌倉時代の武将、畠山重忠の居館であった。近くには、木曽義仲の父、源義賢の居館、大蔵館跡もある。義仲は、嵐山で生を受け、木曽に移り、後に京の都まで攻め上が...
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木曽義仲を慰霊する流鏑馬

義仲あるいは父義賢の家臣の末裔7氏が主宰 萩日吉神社(ときがわ町)  ときがわ町の萩日吉神社の前で、3年に1回、流鏑馬が開かれる。この流鏑馬は、ときがわの明覚郷の市川、荻窪、馬場氏、隣の小川町の大河郷の横川、伊藤、加藤、小林氏の7苗(家)...
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