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「石心」を読む カッパ像づくり 石材店・石滎 内田滎信さん(志木市)

 志木市にはあちこちにカッパの石像が立っている。古くからカッパ伝説があり、石像はそれにちなんで作られ、カッパのキャラクターも登場、町興しに一役買っている。市内にある約30体のカッパ像のほとんどは、石材店を営む内田滎信(えいのぶ)さんが製作した。内田さんは、なぜ、どのようにしてカッパ像を作ったのだろうか。
(以下は、「東上沿線物語」第1号=2007年5月記事・担当高井珠希を一部修正したものです)

カッパ像「待太郎」
「待太郎」(中宗岡1丁目、「せせらぎの小径」)

職人がやらないものを

―石栄さんの歴史を教えてください。

内田 うちの石屋の元は、うちのおじいさんが明治37年に独立して始まりました。会社組織の石栄になったのは昭和28年です。

―町の石屋さんが本格的な彫刻に取り組むようになったいきさつは。 
内田 初代のおじいさんが彫り物が得意な人だったんです。つくるのはお稲荷さんの前のお狐とか。私は、四角いものっていうのは機械化が進んできたし、誰でもできるものだから、職人達がやらないものをやろうってことで彫刻を始めました。おじいさんの影響は、意識はしなかったけど血の中に受け継いだのかもしれません。

―カッパを彫り始めたきっかけは。

内田 15年位前に市の展覧会を始めるので何か出そうと。抽象作品だと年寄りとか子供達がなかなか理解しにくいから誰でも見てすぐわかる作品を作ろうって考えていた。そんな時、志木市で児童文学のいろは文学賞というのを全国に公募していたんですがその第2回目の大賞作品に「いろはがっぱ」という作品が選ばれたんです。カッパなら地元に伝説もあるし、それを参考にしてね、自分なりのイメージでカッパを彫ったのが始めなんです。

-その児童文学作品のイメージで彫ったということですか。

内田 その児童文学のイメージっていうよりも、きっかけを作ってくれた。作品に出てくるカッパ像っていうよりも、カッパ自体の表情というのは自分のイメージで彫っています。

―自分のイメージとはどのような。

内田 カッパっていうと妖怪っていうイメージがあるでしょ。そうじゃなくて、もっと親しみをもてる表情なりポーズを考えました。あくまでも自分なりのいろはがっぱを彫っているつもりです。

―お休みの日も趣味で石を彫るのでしょうか

内田 そうです。今日も、これから彫るんだけども県展があるんですよ。県展に出品して。9月には行動展というのがある。それから11月に市展。それはもう必ず出してます。いまはもう、趣味は彫刻だけです。

木に木目、石には石目

―石を彫る楽しさを教えてください

内田 彫ること自体が楽しみ。どんないい子に産まれるか。黒御影とか白御影とかいろんな石の種類があるけれども、石そのものの素材をいかに生かすかってことですよね。全部磨いちゃったら面白くも何ともない。顔なんかでも、どこを磨けばカッパの表情がより生きるかとか。場所によっては自然のままで手を加えないで石の肌を生かしたほうがいい。そういうのが楽しみかな。自分の創意工夫。硬いものに立ち向かう、粘土とかと違って。それが楽しい。
―逆に難しさというのは

内田 難しさは、なかなか時間が取れない。それからあとは石のクセがあるんですよ。木に板目とか木目があるように、石目っていうのもあるんです。そのクセをどういうふうに読んで彫ってくかっていうこと。石目はノミで叩いていけばわかる。やっぱり手作業でやらないとわからない。石の割れ方が素直に割れるのと、渋くてなかなか割れにくいかという、簡単に言うと。昔、私の親なんかは「石心がわかれば細工はしやすい」って。なかなか、石心っていうのは読めない。

まちあわせ河童
「まちあわせ河童」(志木駅前)

カッパは売らない

―かわいいと評判のカッパですが、キャラクター製品としての需要があるのでは。商品化の予定は。

内田 基本的に売るってことはしない。商売とは全然別個で、これは自分の楽しみで彫っているから。キャラクター的なそういうことは考えてないけども、いわゆる個人じゃなくて公共的な場所に置くものでしたら協力はさせていただこうと思っているんです。個人的に彫ってくれっていう人はいっぱいいるけどそれはみんなお断りしている。やっぱり個人の所へ置いてもらうもんでもないから。カッパは。

―カッパの性別、年齢設定はありますか。

内田 それは、見る人の感じ方で。男か女かとか、すぐ聞かれるんですよ。それはもう見る人の感性で決めてもらって。年取ったカッパを彫ってくれなんていう人もいるんですよ。だけどやっぱり見て「かわいいなー」って言われたほうがいいからね。

―カッパが逆立ちするポーズのアイデアは。

内田 私が小さいときは新河岸川でまだ泳いでたんですよ。水がきれいで、いろは橋の橋の上から飛び込む。それでまた川がきれいになって、あそこでみんなが泳げればいいなという希望があるわけ。それで、逆さになってるのは飛び込んでるの。結構、形によって奥が深いんですよ。50年、もっと前の気持ちがそういうところに入ってるんです。 

(内田滎信さんは、記事取材時、有限会社石滎社長・志木市教育委員会委員長のお立場でしたが、現在は85歳になられ同社会長で志木市美術家協会相談役、埼玉県美術協会審査委員などを務めておられます)