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角川源義とは何者か?角川書店創業者、俳人、国文学者…荒波を越えたその足跡

 角川書店(現KADOKAWA)創業者である角川源義(大正6年=1917~昭和50年=1975)は、出版社経営で成功しただけでなく、俳人、国文学・民俗学の研究者という多面的な顔を持つ。昨年令和7年は角川源義没後50年、角川武蔵野ミュージアム(所沢市)開館5周年にあたり、同ミュージアムで企画展「角川源義の時代~荒波を越えて~」が開かれている(令和8年3月30日まで)。角川源義の多彩な生涯を振り返ってみたい。

折口信夫(釈迢空)のいる國學院に入学

 角川源義は大正6年(1917)富山県に生まれた。源義の子どもの頃、父源三郎は魚の行商などで生計を立てていた。源義は中学に

角川源義の父親が魚の行商に使っていた天秤棒
父親が魚の行商に使っていた天秤棒

入ると俳句に目覚め、伊東月草主宰の俳誌「草上」にも投稿した。受験に失敗し補習科で学ぶようになっても俳句熱は冷めなかった。また受験に備えて上京し月草宅に寄宿していた折、古書店で民俗学者折口信夫(釈迢空)の「古代研究」に出会い、折口のいる國學院進学を決意、昭和12年同大學予科(14年国文学科)に入学する。

富山県立神通中学校時代
富山県立神通中学校時代

 國學院では折口や武田祐吉の指導を受け、柳田國男邸で開かれていた木曜会にも出席、単位論文「悲劇文学の発生」、卒業論文「中世文芸の主題」を執筆するが太平洋戦争で繰り上げ卒業となる。戦時中は板橋の城北中学教師となり何度か召集されるが精力的に論文を書き続けた。

國學院大學研究室にて
國學院大學研究室にて

終戦の年、昭和20年、板橋で角川書店設立

 終戦の昭和20年11月、板橋区(現練馬区)小竹町の自宅応接間を事務所として出版社を設立した。当初は「飛鳥書院」の名だったが、ほどなく「角川書店」に変更した。出版第1号は佐藤佐太郎の歌集『歩道』。敬愛する堀辰雄編集の歌誌「四季」を再刊、『堀辰雄作品集』などを出すが、経営は厳しかった。

飛鳥書院から角川書店へ
飛鳥書院から角川書店へ

角川文庫、『昭和文学全集』のヒットで経営が安定

角川文庫も苦戦した
角川文庫も当初は苦戦した
昭和文学全集
昭和文学全集

 源義は再建をかけて昭和24年角川文庫を創刊する。当初は伸び悩んだが、判型をB6からA6に変更したところ飛ぶように売れた。さらに『昭和文学全集』(昭和27年~)が記録的な大ブームを起こし、ようやく経営が安定した。昭和26年に千代田区富士見町に社屋を建設、28年には鉄筋の新社屋が完成、記念式典には著名な作家、学者、取引業者など約1000人が出席した。昭和29年の全国高額所得者リストに源義の名前が載った。

落成した社屋
家族団らん中の源義(昭和27年)

「ロダンの首泰山木は花得たり」を題とした第一句集『ロダンの首』

 昭和27年にはかねて構想を温めていた雑誌「俳句」を、29年には「短歌」を創刊。源義はこの頃から再び作句に熱中し始める。昭和30年杉並区に新居を建設、新宅祝いとして句会を開き、そこで詠んだ「ロダンの首泰山木は花得たり」を題とした第一句集『ロダンの首』を翌年刊行した。33年には俳句結社の主宰となり、「河」を創刊した。

角川邸
角川邸(角川庭園幻戯山房)
ロダンの首泰山木は花得たり
第一句集「ロダンの首」
第一句集「ロダンの首」

 国文学者としての研究に関わる事業として、昭和29年頃から辞典や教科書の出版にも乗りだし、また33年には『日本絵巻物全集』、自身初の文学評論集『近代文学の孤独』を刊行した。その後は図説シリーズとして、『図説茶道体系』、『図説いけばな体系』など(昭和37年~)は日本の美しい文化を視覚的に紹介する出版として評価された。

古代豪族和邇氏の研究、第3句集『神々の宴』

飯田蛇笏
飯田蛇笏

 源義は俳人飯田蛇笏を敬愛し、その葬儀で詠んだ「篁(たかむら)に一水まざる秋燕」を題とした第2句集『秋燕』を昭和41年に刊行。そのあとがきに、「出版に専念するあまり俳句と学問の神々に見放された時期もあったが、俳句には復帰し、次は学問に専心する」という決意を記している。学生時代から追い求めていた古代豪族和邇氏の研究を本格的に開始。研究の過程で詠まれた第3句集『神々の宴』を44年に刊行。47年の第4句集『冬の虹』には、娘・真理の急逝の悲しみが綴った。

昭和47年の源義
昭和47年

生涯最後の大事業俳句文学館の設立

石田波郷の墓前にて
石田波郷の墓前にて

 源義は昭和48年から生涯最後の大事業である俳句文学館の設立に取り組むが、結核にかかり清瀬の国立療養所東京病院に入院(その間詠んだのが第5句集『西行の日』)。50年には、源義自ら創設、俳壇・歌壇の最高賞と言われる「蛇笏賞」「迢空賞」の贈呈式で講演したが、その後体調が悪化。同年10月27日永眠した(58歳)。俳句文学館が竣工したのは、翌年だった。

角川武蔵野ミュージアム企画展ホームページ