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病気を癒す医者坊主の墓(富士見市)

富士見市渡戸に「医者坊主の墓」と呼ばれる墓石が建っている。江戸時代元禄年間、当地にいた星野平太夫という名の修験者は治療の他人々の悩みや病気平癒の祈願も行い、「医者坊主さま」と呼ばれていた。治る病気は治し、治らない場合は楽にしてくれる、という言い伝えから「ポックリさん」としても知られ、今でもお参り人が多い。

(富士見市資料館友の会ふるさと探訪部会の塩入たま江さん、山本長春さんのお話、資料提供により以下の記事を作成しました)

医者坊主の墓

「医者坊主の墓」は、富士見市渡戸2丁目の星野家墓地内に建つ高さ1㍍ほどの無縫塔(卵型の塔、僧侶の墓石)で、平成に入ってから建て替えられたものという。表に「遠山晃海信士」、側面に「元禄十一年(1698)戊寅二月廿二日 俗名平太夫」と彫ってある。

資料(『ふじみの伝説・昔ばなし』、『地誌に見る鶴馬村地名考抜粋』など)によると、星野平太夫(1619-98)は出羽三山に登ること53回という羽黒派の修験者で薬草、薬石に通じ、依頼があれば人々の悩みや病気平癒の祈願など行っていた。死ぬ間際に、「俺に頼めばどんな病気でも治してやる」と言い残し、風邪、熱、眼病、いぼ、下の病にまでご利益があり、墓は「医者坊主さまの墓」と呼ばれてきた。

ひどい病の人は、「治るものなら治してほしい。治らぬものなら楽にしてほしい」とお願いすれば、どちらかにカタがつくという言い伝えもあり、「ポックリさん」としても知られていた。

平太夫は酒が好きで、治ったお礼に紐を通した竹筒に酒を入れ墓石にかけてやるのが習わしであったという。取材した日、墓石に酒はなかったが、きれいな花が供えられていた。                                                 (取材2023年1月)

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