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愚者の独り言⑧ 宗教はなぜ暴力に寛容なのか 花見大介

この世に宗教団体と言えるものがどれほどあるかは知らないが、キリスト教やイスラム教、ヒンズー教や仏教をはじめほとんどの宗教は正義を謳い、平和を求めると喧伝してきたし、そうした行動を採ってきた。実際はどうなのだろうか。

古今東西、暴力が横行し、大規模な戦争や地域紛争、テロ行為が頻発している。戦争やテロが起きるたびに、私はなぜそんなことをするのか、しなければならないのか、と自問することが多い。指導者らはいったい、何をしているのか。中でも聖職者ら宗教関係者はどのような対応をしてきたのか、宗教は戦争やテロには無力なのか、などと考えをめぐらす。こうした疑問に答えられるほどの知識も判断力も将来を見通すだけの洞察力も、私は持ち合わせていない。全く無力である。浅学菲才な者ができることは、難しい問題は宗教学者らに任せ、自分はそれを考えていく一里塚にしたいという程度である。

 世界の民を驚かせ、反発を買ったロシアによるウクライナへの侵攻から、二冬目を迎えた。最近の戦線での動きは膠着状態と言ってよく、戦争は長期戦の様相を見せている。両国の戦いの帰趨が定かでない中で、今度は中東に戦火が上がった。イスラエルとパレスチナのイスラム武装組織・ハマスが戦火を交えたのである。戦いの犠牲者は、ハマス側が圧倒的に多い。ロシア・ウクライナ戦争での所見を含めた死傷者数は、それをはるかに上回る。カタールなどによる仲介の結果、一時的な停戦が成ったが、8日間の停戦が終わると再び激しい戦闘が始まり、一般人を含めた死傷者が急増した。

 この記事は戦況を伝え、先行きを語るのが目的ではないので、これ以上は触れない。私が言いたいのは、宗教指導者をはじめとする宗教関係者がこうした暴力行為をなぜ傍観しているのか、暴力行為を容認しているのか、むしろ暴力行為を肯定しているのではないか、ということである。宗教に携わる人は民の模範となる行為を採っており、それゆえに民に支持されているというのが、しごくまっとうな理解の仕方であるが、実際はどうなのか。

ロシアとウクライナ、イスラエルとハマス間のような戦争や大規模なテロが起きれば、多数の人命が失われる。人の命は何にも増して尊いことは、子供でも知っている。ところが、人の生きる道を示すはずの、民の範となるべきはずの聖職者らは、自国の、あるいは他国の指導者らに戦争やテロをやめよと訴えた例があっただろうか。中東戦争、湾岸戦争など行くたびも戦火を交えてきた中東諸国の中で、そうした聖職者が出てきた例を私は知らない。

「ジハード」という言葉を記憶されている読者も多いことだろう。湾戦争当時にはよく聞かれたこの言葉を口にしたのは聖職者だった。日本の「神風特攻隊」のように、若者に交戦国の軍艦などに突撃、自らの命を絶てと自爆を強いたのは宗教指導者だった。平和へ尽力する姿勢は微塵も見られない。このことは、聖職者が暴力行為を積極的に奨めているのか、あるいはやむを得ず認めて口をつむっているのか、という深刻な問題を我々に投げかけている。聖職者というより軍人、というなら話は別である。

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宗教がこの世に生まれてこの方、芸術や文化などに多大な貢献をし、民の心を安ませるといった役割を果たしてきた。他方で、宗教をバックとした争いも、数限りなくあった。古くはキリスト教徒がユダヤ人を各地で迫害したことがあった。日本でも中世を中心に、徳川幕府がクリスチャンを迫害した「島原の乱」をはじめ、浄土真宗を的にした宗教上の混乱,迫害や権力者による迫害などが多発した。近くにはオーム真理教の信者が、多くの罪なき民を殺傷する事件を起こしたのは記憶に新しい。

ヨーロッパでは宗教改革による新旧両派の対立が、各国を巻き込んだ政治的・国際的な紛争へと転化・発展した結果、16世紀から17世紀にかけて各地で武力闘争が繰り広げられた。フランスのユグノー戦争、オランダの80年戦争、ドイツでの宗教戦争など枚挙にいとまない。良く知られている中世ヨーロッパの十字軍は、イスラム教徒に奪われた聖地・エルサレムを奪還しようとしたキリスト教徒の集団である。宗教の歴史は殺戮の歴史と言われるほど、血にまみれた話しが多い。

規模の大小は問わず人を殺戮し、または重要施設を破壊するテロ行為も、20世紀後半から目立っている。ほとんどが宗教を後ろ盾にするか、その信奉者による暴力行為である。自らが正しいと信ずる主義・主張に基づいて、国家や各種団体。個人に受け容れを強要し、自分たちが理想とする社会をつくることを目的としている。テロという、おぞましい行為へ走るのは、そのため手段である。テロ行為に走るグループや個人が信奉するのは、中東を発祥の地とする宗教をバックとするか、それに感化されたグループが多いとみられている。 

経済をはじめグローバル化の動きが加速している。そうした中で顕著になっているのが、貧富の格差拡大である。年を重ねるたびに、それが加速している。近年のテロの増加の背後には、社会の不満のはけ口としての宗教の存在がある。発展途上の、あるいはこれから離陸する国々では、その傾向が強まるかもしれない。テロの脅威の拡大である。宗教はなぜ戦争やテロなどの暴力行為を容認するのか、ということを自問自答しようとしたが、うまくいかなかった。他日を期したい。                          

花見大介 :元大手経済紙記者、経済関係の団体勤務もある。近年は昭和史の勉強のかたわら、囲碁、絵画に親しむ。千葉県流山市在住

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