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愚者の独り言⑩ ちょっと覗いた医療現場 花見大介

健康と病に関する各人の課題・問題は、多くの人にとって変わらぬ関心事である。その度合いは、自民党の総裁選より高いかもしれない。ところが、普段馴染みのある病院やクリニックではあるが、内部事情のことになると知識をほとんど持ち合わせていない。私も同様である。私事で恐縮だが、胃癌と宣告されて地元の専門病院に入院したことがある。入院中。私のほとんど知らなかったこと、こうしたらいいのにと思ったこと、などがいくつかあったので、闘病記を兼ねて書いてみた。

担当の医師は40歳ほどの、やさしいそうでハンサムな人だった。看護師らにももてそうだな、などとつまらぬことを思ったりしながら、彼の説明に聞き入ったが、胃癌宣告にも動揺することなく、不思議と冷静でいられた。医療技術や器具の進歩で、かつては死亡率トップだった癌も、近年は大きく順位を下げている。手術が危険なことではなく、医者に任せておけば全く心配ないとの安心感を持てるようになったことも一因だった。それをもたらした最大の手段が内視鏡(胃カメラ)と思える。

私が入院した病院は癌に関する診療、手術、研究など幅広い活動を行なっており、患者数などから判断して近隣地域内で最大規模のものと推測できる。担当医師が手術についてあれこれ説明していた中で、私が最も驚いたのは、医師から私達が日ごろ口にしている「手術」ではなく、「処置」という言葉を聞かされた時だった。処置という言葉には、何となく軽さを感じる、課題をあまり苦労せず解決するといった響きがある。癌と言えば、ひところは不治と恐れられた病気である。それに対して「処置」は患者を軽んじた言葉ではないか、と受け止める人がいるだろう。私もそうだった。

胃の中にできた癌は、直径が1円玉強の平たい形をしたものだった。「処置」は先端に光るカメラを装着した直径10cmほどの管を口から挿入し、患部を探し当てたうえ、患部の下に水を注入して切り取るという方法だった。水を入れるのは、患部を浮き上がらせて切り取りをしやすくするため。口で言うのも、実際に手術するのも簡単である。医者に言わせると、この程度の手術はその名に値しないそうで、代わりに「処置」という用語を遣うようになったとか。このような術式なら、医者になってからの日時が浅い医者でも対応できるかもしれない。

もう隋分前の話になるが、私の友人が胃癌に見舞われたことがあった。癌の大きさは米粒大だったとか。それでも手術の時には全身麻酔をされたうえ、開腹して胃の全てを切り取られた。今とは様変わりとも言える手術である。患部の大きさや進行状況などが現在では的確に捉えられる。1980年代頃に出版された柳田邦男著「回廊の朝」では、患部がガンか、良性のポリープかで医師団の協議が真二つに割れるくだりがある。内視鏡がまだ使われていない時の話である。

癌患者や相談を受けるために待機する待合室は、平均的な規模の小・中学校の講堂くらいの広さがあった。午前10時ころだけで200人程度の患者が、そこで待機している。あまりにも多い数に驚いた私は「この病院には毎日、どれくらいの患者が来るのですか」と近くにいた職員に尋ねてみた。「1,200人前後でしょうかね」と答えてくれた。なぜ驚くといった顔だった、東京にはこの数字を上回る癌専門病院がいくつかあるそうだ。病気になれば、ましてや癌ともなれば、実績も評価も高い病院を選びたくなることがこの数に反映しているのだろう。

先に少し触れたように、癌に限らず、内臓疾患がひところよりずっと早く、成果を高められるようになったのは、内視鏡(胃カメラ)の導入と急速な普及によるところが大きい。素人判断だが、まず間違いないだろう。癌細胞は人体の所構わず発生する厄介な存在である。それだけに、早期発見が何よりも大切と医者は口をそろえる。私がかかった胃癌は痛い、苦しいと言った自覚症状が全くなく、市が実施する定期健康診断で見つかった。

早期発見が出来れば、癌の種類や悪性度の調べは内視鏡の出番。なにしろ、患部を手元で見ることができるのだから、威力を抜群。内視鏡の発想は古くからあって、その利用は19世紀半ばにフランスの医師が「内視鏡」と名付けた器具で男性の下半身を、10数年後にドイツ人医師が胃の検査したのが始まりという。日本では1950年ではある大学と光学機器メーカーが胃カメラを共同開発したのが最初、と勉強好きという入院先の職員が教えてくれた。

病に罹って入院するはめになった時の最大の楽しみは、食事と看護師さんとのたわいもない雑談だろう。一口に病院食といっても、中身は病院によって随分と違う。癌で入院した時の病院での食事にはまずまず満足のいくものだったが、今年の初めに指の骨折で入院・手術をした病院の食事は、口に出すのも不快なほどひどいものだった。

ある日の献立はおかゆ、全長10cmほどの焼き魚、味のほとんどしない青野菜(菜っ葉)の煮つけ、少なすぎるみそ汁の具、牛乳といったものだった。魚は一口で呑み込めそうなくらい小さく、野菜は水っぽい。調理のため買い付ける肉や野菜は費用をかけまいという意図が明らかだし、出された料理には味付けに時間を掛けたと思われないと断言できるものだ。普段、食事に贅沢をしない人でも、これほどお粗末な内容には大いなる失望を味わった人が多数派ではないか。これでは食の楽しみなど望むべくもない。料理は心。病院側の食に対する敬意が、美味しいという患者の言葉が、患者の回復を早める効果をもたらすはずである。

今時、地域を代表する基幹病院のこうした経営には驚きしかないが、もうひとつと驚いたのは、このお粗末な食事を、患者と同じメニューのものを、看護師も食べていることだ。病院に行けば看護師の仕事は多岐にわたり、忙しく立ち回っていることが一目でわかる。宿泊勤務もある。激職である。人命を預かっているという責任感や緊張感も絶えず付きまとっている。入院患者と同じ食事では体がもたないのではないかと心配になった。

この病院は介護事業、医療従事者向け教育事業をはじめ、医療関連の経営多角化に精力的に取り組んでいる。そのための費用へ回すため、行院本来のコストを極力抑えたいという姿勢が随所にうかがえる。診察の受付業務、患者の支払い処理などはいまだに手作業。事務職のための合理化にもっと目を向けたるべきではないか。働く者を大切にしない事業体に、明日の反映はない。この病院の経営実態にメスを入れてチェックしたいと思わないでもない。 

花見大介 :元大手経済紙記者、経済関係の団体勤務もある。近年は昭和史の勉強のかたわら、囲碁、絵画に親しむ。千葉県流山市在住