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地域の歴史

このところ、身近な地域の歴史を探求することを楽しんでいる。調べていくと意外な面白さがある。私の住む近く、ふじみ野市亀久保に神明神社がある。小さな神社だが、川越街道の旧道と新道が合流する地点のちょっと高台にあり、立地が面白く、境内も気品がある。由緒書きに、「齊藤実盛の子孫の齊藤利長・信広親子が川越夜戦で敗れ、所沢に逃れ、京都から神明神社を勧請。さらに6代下った齊藤の子孫が所沢から亀久保に神明神社を招いた」とある。

  所沢の神明神社といえば所沢を代表する社である。ということは齊藤氏が所沢を開いたのだろうかと思った。そこで所沢の神明神社に行ったが、資料を見ても「齊藤」の名はない。しばらくして、ネット上で所沢に明治天皇の行在所に使われた齊藤家という旧家があるということを知った。ひよっとしてと、所沢に詳しい郷土史家の三上博史さんにお話をうかがったところ、どんぴしゃり。その齊藤家は、川越夜戦から逃れた齊藤氏から始まった家であった。最初に所沢を開き、その後も地域の名家として続き、天皇の宿泊所にもなり、今の西武鉄道も開いた。その家がそのまま現存する。神社は火災で資料が焼け、歴史が途絶えていた。これだけでも私にとっては大きな発見で収穫だが、さらにおまけがついた。齊藤氏からしばらく後に所沢を開墾し開いたのはふじみ野市亀久保の三上家で、お話をうかがった三上さんはその子孫だという。実は亀久保には三上が何軒かありその一軒はうちの親戚である。所沢を開墾したなどという話はまったく初耳だった。早速、市の文化財の委員もされている三上栄一さんにお聞きすると、三上家祖先は近江の出で(後)北条氏に仕えていた。江戸初期に所沢を含む広大な地域を開墾したとのこと。しかし、亀久保神明神社とは直接の関係はない。亀久保と齊藤家と所沢と三上家が交錯した不思議なお話でした。

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