発智庄平

東京オリンピックのゴルフ競技が川越で開かれているのに合わせ、市立博物館で「霞ヶ関カンツリー倶楽部と発智庄平」と題する展覧会が開かれている(9月7日まで)。発智庄平(1864-1936)については、すでに記事化しているが、現在の川越市笠幡の大地主で黒須銀行の頭取や埼玉育児院院長を務めるなど多くの事業に関わったほか、名門ゴルフ場霞ヶ関カンツリー倶楽部に用地を提供し創設の立役者となったことで知られる。今回の展覧会で興味深かったのは、発智家の家系図からみた近隣の名家との関係である。

   庄平は発智27代だが24代庄兵衛の妻は現在の入間市の繁田(はんだ)家の出だ。庄兵衛の娘千代は繁田家の繁田満義(狭山茶を輸出する狭山会社設立で有名、渋沢栄一と関係)に嫁ぎ、その長男が庄平である。ところが発智26代の七之輔に男の子がなかったので、庄平は七之輔の娘と結婚し発智に婿入りする。入間の大地主繁田と発智の関係はそれだけ深い。
さらに、24代庄兵衛の弟福秀は現在の志木市の西川家に婿入りし、その娘みねが七之輔の妻、すなわち庄平の(養)母である。西川家はやはり地域の大地主で、大正期の小作争議で歴史に残っている。
庄平の長男、28代発智太郎は、福岡村(現在のふじみ野市)の回漕問屋星野仙蔵の娘を妻とし、庄平の娘いしも星野家に嫁いでいる。
発智、繁田、西川、星野といえば、戦前において、埼玉でも有数の大地主、名家である。これらの家は、相互に姻戚関係でつながっていたことになる。

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