志木市内にかわいいカッパ像が数多く設置されている。いくつものカッパ伝説が語りつがれてきたことが背景にある。志木市が作成、配布している「しきし まちあるきマップ」(以下では「マップ」)には28体のカッパ像が載っている。26年6月初めの午後、東武東上線志木駅を起点に一筆書きの形で28体を巡ってみた。
なお、このルポでは、志木市ホームページ内「市長の部屋」での「市内カッパ像めぐり」の記事や、志木市商工会ホームページ内の「カッパの郷(さと)志木」の情報に基づく部分が少なくない。写真はすべて筆者がスマートフォンで撮影したものである(参考で掲げた過去に撮影した写真以外はカッパ像巡りの当日に撮影)。
PART1 志木駅と東口駅前周辺
まずは志木駅改札口内。壁際で赤いミニ座布団に座っている小柄な「まねきがっぱ」に“ごあいさつ”。東口の駅前広場に降りると、28体の中では背丈が最も高いと思われる「まちあわせ河童」が立っている。ふくよかな体つきで、右手を挙げて迎えてくれる。


「まちあわせ河童」は、志木ロータリークラブが創立50周年記念事業として2022年2月に市に贈呈したカッパ像だ。当時の埼玉新聞の記事によると御影石製で背丈は1メートル30センチ。人間だと小学校3年生くらいの高さである。
28体のカッパ像のうち「まちあわせ河童」を含む27体は、市内の石材店「石栄」を経営してきた、彫刻家の内田栄信(えいのぶ)さんが制作した。内田さんのカッパ像づくりの動機や姿勢は、本サイト掲載のインタビュー記事に詳しい。個々のカッパ像に込めた思いは、志木市ホームページ内「市長の部屋」の市内カッパ像めぐり(23年8月更新)で紹介されている。本稿中の制作者の思いは同記事からの引用や要約である。
「まちあわせ河童」の場所は、志木市施行の市街地再開発事業で出店したマルイ志木店入口前だが、同店横のバス停前には、「引又(ひきまた)おやじ」一家のカッパ像がある。おやじは「お迎え母さん」と息子「おすましくん」と仲睦まじく向き合っている。

引又は、志木市本町(ほんちょう)周辺の江戸時代の地名である。奥州と甲州を結ぶ奥州街道の間道(支道)の宿場「引又宿」が置かれていた。新河岸川の舟運の拠点の一つだったこともあって、商業中心地として発展した。こうした歴史を思い起こさせるカッパ一家と言える。志木ロータリークラブが「駅前再開発のシンボル」として2000年に設置したものだ。
PART2 せせらぎの小径とコスモス街道沿い
「引又おやじ」一家と別れ、バス停で、浦和駅西口行きの路線バスに乗った。「引又宿」のあった本町通り(旧市場通り)、市役所そばの新河岸川にかかる「いろは橋」などを通って「宗岡小学校前」で下車した。志木市中宗岡にある遊歩道「せせらぎの小径」のカッパたちを訪ねるためである。
数分歩くと「待太郎(まちたろう)」と再会した。しゃがんで両手を顎に当て、どっしりと構えて待っている。閑静な住宅地にある「せせらぎの小径」を北へ少し進むと、カッパの足跡だけを彫り込んでいる、名前もズバリ「足跡」のオブジェがある。マップでは、カッパ像28体のうちの1体にカウントされている。さらに、せせらぎ沿いに歩くと水中で両足をそろえて伸ばし、水面に浮かぶ「遊花子(ゆかこ)」の姿がある。甲羅や顔は水上に出ていて、気持ち良さそうだ。「待太郎」からここまで、大人の足で4~5分の距離である。



「待太郎」まで戻って、西へ曲がり、しばらく歩いた。直線距離で600メートル程度離れた地点にいる「愛ちゃん」と「番太郎」に会うためだ。2体の設置場所は、「コスモス街道」として整備されている新河岸川左岸土手と、宗岡第四小学校運動場の間の草むらの中である。少し距離を隔てて向かい合っている。土手側の「愛ちゃん」は慎ましやかにしゃがみ込んでいるのに対し、小学校運動場側の「番太郎」は、大きな石の上に両足を広げてしゃがみ、頬杖をついて静かに「愛ちゃん」を見守っているように見えた。



PART3 いろは親水公園とその周辺
「コスモス街道」を南に歩き、「いろは橋」前の県道を渡って、そのまま土手の道を少し進むと「波動ちゃん」のカッパ像がある。新河岸川と柳瀬川の合流地点周辺に広がる市立「いろは親水公園」のエリア内で桜並木があるところだ。
「波動ちゃん」の正式名称は「遠い記憶 波動」で2012年の設置。台座の側面には、川の波形が彫り込まれている。遠い記憶とは、直接には、制作者の内田さんが子どもの頃、新河岸川で泳いだり、魚を釣ったりして楽しんだ記憶のことのようだ。内田さんはこうした昔の思い出を抱きながら新河岸川の水流や風の流れをイメージして制作、名前を付けた。石材は、福島県産の黒御影石で、2011年3月の東日本大震災を忘れないとの思いも込めて彫ったという。
来訪者の中には、「波動ちゃん」とともに新河岸川の流れを見下ろしていると、自分が子供の頃に、故郷の川で無邪気に遊んだ「遠い記憶」が蘇ってくる人もいるのではないか。

話が少し横道にそれるが、公園名の「いろは」は、新河岸川の「いろは橋」と同じ歴史的背景を持つ。江戸時代、引又宿までつながっていた野火止用水の水を農業用水として、新河岸川対岸の宗岡村へと送るために、新河岸川に架設した巨大な木製の樋(1662年完成)が「いろは樋」と呼ばれていたのだ。48個の木製樋をつなぎ合わせたもので、いろは歌の48文字にちなんでいる。
カッパ像はこの「いろは親水公園」や周辺(市役所、保育園、神社境内)に、「波動ちゃん」を含めて実に8体もある。「波動ちゃん」の次に訪れたのは、「いろは橋」を渡ると右側にある市役所屋外に設置されている「イロハガッパ 喋喋喃喃(ちょうちょうなんなん)」。半球状の覆いの割れ目から覗くと、2体の男女の子ガッパが仲良く会話を楽しんいる。
喋喋喃喃とは、男女が小声で語り合うさまのことで、「この像の前で出会う人々が皆仲良くなれるように」という制作者の思いが込められている。


市役所前の県道を渡ると、新河岸川と柳瀬川の合流地点前にある「いろは親水公園」中州ゾーンだ。ここに3体のカッパ像がある。明治時代の薬局の土蔵造りの店蔵を移設復元した旧村山快哉堂の裏手が芝生公園になっているが、その新河岸川右岸沿いの植え込みの中に、「ユーユー」と「スイスイくん」が泳いでいる姿が目に入る。悠々と泳ぐ「ユーユー」は「スイスイくん」の母親で、息子の「スイスイくん」に泳ぎを教えているところだ。
広場の反対側の柳瀬川左岸沿いには、大きな卵の殻の形をした覆いの窓から、幼児カッパ「宙太郎」の顔が見える。臆病な子で、外の様子をうかがっているとのことだ。


再び、市役所前に戻り、今度は柳瀬川にかかる栄橋を渡る。すると、右手に市立「いろは保育園」があり、この敷地内に「育ちゃん」のカッパ像が設置されている。保育園事務所で「カッパ像を見せていただきたい」と伝えるとすぐ案内してくれた。「育ちゃん」は、屋外の奥の砂場に、膝を曲げてにこやかに座り込んでいる。日々、健やかに遊ぶ園児を見守っているのだろう。
保育園から東へ6、7分歩くと、柳瀬川と新河岸川の合流地点の右岸だった。江戸時代から昭和初期まで、川越と江戸・東京を結ぶ舟が発着、回漕問屋が貨物を取り扱っていた「引又河岸」のあったところだ。さらに少し歩くと右手に、親水公園内の四阿(あずまや)があり、その後ろに子ガッパの「三十五郎(みそごろう)」が台座の角にちょこんと座っている。台座には、子ども達がくぐって遊べるようにと、四角形の穴が空けてある。三十五郎も一緒に遊ぶことを楽しみにしているわけだ。
四阿は、武蔵野台地の崖下にある遊歩道「こもれびのみち」の端にあり、わき水でできた池に面している。この池が三十五郎の棲み家である。
さて、四阿で一服してから斜面に設けられた木製階段道を登り、崖上にある敷島神社境内に裏から入る。境内の奥には、かわいい表情の「たごちゃん」が立っている。だれかのいたずらだろうが、編み笠を背負っていた。結構似合っている気もした。
敷島神社は、「田子山富士(たごやまふじ)」と呼ばれる大きな富士塚 があることで知られる。古くからの富士信仰の象徴である。「たごちゃん」の名前もこの富士塚に由来する。
PART4 いろは商店会周辺と宝幢寺
敷島神社から住宅地を通って、「引又宿」があった本町通りにでる。南北に走る通りの中心部にある川口信用金庫志木支店の前に、「カッピー」が悠然と座っている。通り沿いの商店を中心に組織する「いろは商店会」が創立30周年を記念して2006年に設置したもので、カッピーという名前も、この時の公募による。この日は、ここでも誰かのいたずらと思われるが、ヘルメットや帽子をかぶせてあった。カッパのシンボルの頭頂部の皿や髪型が見えないので、このいたずらはいただけない。


本町通りから西へ少し入ったところにある志木市商工会の玄関そばにもカッパ像が置かれている。「きずーな」という名称で、やんちゃ坊主をイメージして制作されたものだ。本町通りにあったギャラリー兼物産館「かっぱふれあい館」に置かれていたが、同館閉館(2018年2月)に伴い、ここに移設された。


商工会前から北西に200メートルほど離れている古刹「宝幢寺」まで歩き、境内で4体のカッパ像に再会した。このうち3体は、親子3体が抱き合った珍しい形で、マップに「宝幢寺カッパ」として掲載されている。場所は本堂の近くで、これも内田さんの制作。一方、文殊堂そばにある、もう一体の「大門(だいもん)」は、28体のカッパ像の中で唯一、制作者が異なる。
市のホームページ内「市長の部屋」の解説によると、「大門」は市内にあるヨツヤ星野石材の星野潤一郎さん(故人=筆者追記)の制作。宝幢寺周辺の檀家組織「中野大門会」がこの寺に伝わるカッパ伝説を後世に残すために1998年に設置した。「大門」という名称は2006年に志木ロータリークラブが公募して名付けたものである。
筆者の感想だが、制作者が異なるだけに顔は全く異なる。大きな目は独得で、口の下の顎は縦に長く、左右に矩形が広がる。両手で2匹の鮒(ふな)を持ち上げているのはカッパ伝説に基づく。


この伝説は、1809年(文化6年)刊行の「寓意草」に載っており、民俗学者の柳田国男(1875〜1962年)が著書「増補山島民譚集」で「和尚ノ慈悲」のタイトルで取り上げ、有名になった。それによると、昔、このあたりの舘村にあった引又川に住むカッパが、寺に飼われていた馬を川の中に引きずりこもうとして失敗、厠(かわや)の隅で倒れて馬に蹴られていた。そこに寺の和尚が現れ、カッパは和尚の顔を見て助けを求めた。和尚が慈悲で許すと、泣きながら川に帰って行ったが、翌日、大きな鮒2匹が和尚の枕元に置いてあり、以来、人馬が突然いなくなることはなくなったという。
なお、この伝説は、少し異なる、込み入ったストーリーで「宝幢寺の地蔵さんとカッパの話」としても語たり継がれている。
PART5 東上線柳瀬川駅徒歩圏の柳瀬川周辺
カッパ像巡りもあと3体を残すのみとなった。いずれも東上線柳瀬川駅の徒歩圏内にある。今回は、宝幢寺から北西に8分ほど歩いて、まず「流ちゃん」に会いに行った。志木市柏町2丁目にある民間コミュニティ施設「クラブ中野」近くで、柳瀬川河川敷の浅瀬に設置されている。28体のカッパ像の中で川の中にあるのはここだけである。

志木市商工会ホームページ内の「カッパの郷 志木」によると、「流ちゃん」は、カッパの自然の姿がイメージできるようにと、柳瀬川土手の改修工事に伴って2012年に設置された。「カッパの川流れ」にならないように、背中に岩を背負っている。
「流ちゃん」にはこれまでも何度も会っていたが、今回、初めてこの説明を読んでその姿に合点がいった。
ここから土手の外側を南に少し歩く。志木第三小学校西側に「長勝院旗桜」と呼ばれる一本の桜があり、その樹下にその名も「さくら子」という子ガッパがいる。寝そべっている姿に意表を突かれる人も多いだろう。頭を曲げた右腕の上の乗せ、桜を無心に見上げている。

長勝院旗桜は、ヤマザクラの変種(品種名チョウショウインハタザクラ)で、ここにしかなかった珍しい桜だ。推定樹齢400年以上で市は文化財に指定している。桜の花びらは5枚だが、雄しべの一部が花弁状に変わった旗弁(1~2枚)ができ、花びらが増えているかのように見える。現在は、この木から植樹されたチョウショウインハタザクラが市内に50カ所以上にある。
夕方、カッパ像巡りのラストとなったのは、東武東上線柳瀬川駅西口に近い柳瀬川図書舘玄関の屋外に設置されている「やなっぱ」である。柳瀬川とカッパを組み合わせた名前で、公募で選ばれた。「さくら子」から南西に歩いて5~6分の地点である。表情は温厚そうでだ。しゃがんだ恰好で、膝の上に手のひらを上下に少し空けて重ねるポ―ズは親しみを感じさせる。


今回のカッパ像巡りで、28体のカッパ像は設置場所に応じてさまざまな思いが込められていることが痛感された。カッパの郷には、引又宿以来のまちの歴史に根差しながら、多様な交流・発展が期待されているようにも思われた。
<筆者のプロフィール>永家一孝(ながや・かずたか):志木市在住の元日本経済新聞記者。商業や消費動向、 観光、マーケティング、広告などの分野が専門で、現在、フリーランスのジャーナリスト・リサーチャー。1952年生まれ。
