千葉県野田市は江戸時代から醤油の製造が盛んだ。キッコーマンの創業の地であり、現在も本社・工場を構える。大宅壮一は野田を「醤油藩の城下町」と呼んだが、同市には古くから醤油造りに携わり財を成した醸造家のお屋敷・庭園が数多く建ち並んでいる。今回、旧茂木佐平治邸(現野田市市民会館、登録有形文化財・登録記念物)、高梨兵左衛門家(上花輪歴史館、国指定名勝)、茂木七左衛門家(茂木本家美術館)などを訪れ、野田の醤油業の繁栄と歴史の奥深さに驚かされた。
(以下、野田の歴史と茂木佐平治邸についてはむらさきの里野田ガイドの会山本健一さんのご説明、高梨兵左衛門家については上花輪歴史館担当者のご説明、茂木本家美術館については同館ホームページなどにより作成しました)
8軒が集まり、大正6年に野田醤油株式会社(現キッコーマン)設立
野田の醤油造りは、戦国時代の永禄年間(1558~69)に、飯田市郎兵衛という人が始めたと言われていますが、資料は残っていません。江戸時代に入り、銚子でヒゲタとヤマサさんが造り始めたので、関東の始まりは公式には銚子ということになっています。

野田では江戸時代1660年頃に高梨兵左衛門が造り始めたのが、文書で確認できます。その後茂木の本家、分家が次々に醤油業を始め、高梨と茂木6家、それと流山の万上(まんじょう)の8軒が集まり、大正6年に野田醤油株式会社という会社にしました。これが現在のキッコーマンです。野田には他に天保期に創業したキノエネ醤油も現在も営業しています。
江戸川の舟運で江戸・東京へ
醤油は最初は上方のものが品質がよく、江戸時代初めは関西から船で運んできていましたが、江戸末期になると関東の醤油の技術も上がり、関東の方が上等とみられるようになりました。野田は江戸(東京)まで運ぶのに朝江戸川を下ると午後には日本橋に着くという交通の利があります。銚子は一度利根川を上り江戸川を下るので時間がかかる。また、野田は原料の豆や麦も、群馬・栃木などから船で送られてきました。
キッコーマンは、現在も約6割は野田で製造していますので、野田は昔も今も日本一の醤油の町と言えます。
[茂木佐平治の屋敷・庭園(茂木佐邸)]
大正13年に建設したお屋敷、現在は市民会館として使う
ここは現在市民会館として使われていますが、元々はキッコーマンの創業家の一家、茂木佐平治のお屋敷でした。茂木佐平治家は江戸時代には、高梨兵左衛門家とともに幕府の御用醤油として江戸城に納めていました。この建物は、大正13年に9代茂木佐平治によって建てられました(当代は11代)。建物は材料も吟味してしっかり作っているので、東日本大震災でも瓦が数枚落ちて壁に少しヒビが入ったくらいで済みました。

キッコーマンの六角マークは茂木佐平治家が江戸時代から使っていたマークです。大正6年に8軒が合併した後蔵ごとに別々のマークで出していましたが、昭和になって佐平治家のキッコーマンに統一されました。

「鬼滅の刃」など大正時代の物語の世界と合う
元々ここは3000坪の敷地の屋敷でしたが、昭和31年に1500坪を野田市に寄贈され、 市民会館として使われています。和風で平屋の屋敷の市民会館はめずらしいと思います。 市民がお茶とかお花とか謡いの会などに使用したり、最近は若い女性がコスプレのために来館します。特に「鬼滅の刃」など大正時代の物語の世界とぴたり合うようで、休みの日に遠くからも来ます。

将棋名人戦が開かれる部屋、藤井戦は実現せず
松の間(主人室)です。6月に名人戦(藤井聡太・糸谷哲郎戦)第5局が予定され、壁の塗り替えをしたのですが、藤井さんが4連勝して残念ながら開かれませんでした。過去には平成22年に、羽生善治対三浦弘行の名人戦、その後竜王戦もこの部屋で行われました。野田市北部の関宿というところから明治から大正にかけて非常に強い将棋指しだった関根金次郎という名人が出ています。当時 名人は終身制で前の名人が亡くならないとなれない。関根さんが名人になったのが大正10年、53歳でした。昭和になって将棋が低迷し名人戦をやったらという提案があり、関根名人は自分は引退するからやろうと決断、それで名人戦ができた。関根さんは近代将棋の父と言われています。関根さんは門下生を育てるのがうまかった。将棋連盟のホームページに棋士の系統図がありますが、2枚のうち1枚はほとんど関根さんの系統です。羽生さんはひ孫、藤井さんはひ孫の孫にあたる。関宿は野田市と合併し、今野田では将棋を盛り上げようとしています。


廊下の半分に畳が敷いてあります。これは大勢が集まり座敷に入り切れない人が座れるようにしたものです。雨戸は総雨戸です。

庭。今芝生になっているところに以前賓客が宿泊する書院が建っていました。宮様もお泊まりになったことがあります。

中庭。廊下の下に、庭師が入るとき通る地下道が設けられています。

NHKドラマ「魯山人のかまど」の撮影
台所です。NHKドラマ「魯山人のかまど」の第1回吉田茂宅のシーンはここで撮影されました。他にも「天皇の料理番」、「アナウンサーたちの戦争」などのロケがここで行われています。


[高梨氏庭園(上花輪歴史館)]
高梨兵左右衛門家の旧宅 国の名勝に指定
こちらは高梨兵左右衛門家の旧宅です。高梨兵左右衛門は代々襲名し今当代で第30代になります。高梨家は江戸時代の初め1661年に醤油を業として造り始め、この地で長く名主を務めていました。幕末には関東の醤油のトップブランドの評価を得ていました。大正6年に野田の醤油屋さんが団結し野田醤油株式会社を作り、それが今のキッコーマンになりました。キッコーマンになったことで、職場の機能はいらなくなりましたので、昭和6年に第28代当主により数寄屋風建築の屋敷・庭園に建て替えました。

財団法人(現公益財団法人)高梨本家の所有する上花輪歴史館として、1994年から公開しております。書院は1806年頃の建物で、新旧の建物と庭がマッチしているということで、2001年に国の名勝に指定されました。

敷地は約3000坪あり、今駐車場になっているところに元々の醤油蔵がありました。
門長屋
門長屋。江戸中期1766年の建築で一番古い建物です。長屋門ですが武家でないと門を建ててはいけないので「門長屋」と呼んでいます。

今、月遅れの丹後の節句飾りを展示しており、駕籠玉と長さ20数㍍の鯉のぼりの口輪です。

玄関。中央が表玄関で僧侶、神主や位の高いお客さんが使用しました。右手に内玄関があり一般のお客様、家族は台所からの出入りだったそうです。高梨家はこの建物で1994年まで生活していました。

北側に大きな椨(たぶ)の木 山に見立てる
建物の裏手、北側に大きな椨(たぶ)の木が立っています。建物を建てるのに風水で北に山に西に森という約束があり、西には屋敷林がありますが、北に山がないので、木を山に見立てています。
とくさ塀です。植物のとくさに似ていることから名がつきました。

生活空間、これを建てた28代の自室です。表玄関と同じ造りになっています。赤っぽい石は京都の鞍馬から500個以上買い付け、大きいものは野田市駅からコロで運んだそうです。


籾蔵。非常食糧庫で籾とか干し柿、干したタニシなどが入っていました。お助け小屋ともいい、飢饉の時には放出して助けにしていました。

醸造業は火を使うので野田は何度も大火事にやられていますが、近くで火事があると黒い板塀をはずし屋根を落とすようにできていました。するとしっくいの塊になり火がつかないのです。
書院と主庭園
江戸時代初め建築の書院とメインの庭園です。書院から見て正面に柏の木、左手に松の木が配してあります。主庭園の奥に茶室眺春庵からは江戸川へ通ずる堀を臨むことができます。

[茂木本家美術館(MOMOA)]
キッコーマンを創業した茂木家の本家、第12代が収集した美術品展示
茂木本家はキッコーマンを創業した茂木家の本家にあたり、1766年に醤油の製造を始めました。茂木本家当主は代々茂木七左衛門を襲名し、第12代(1907~2012)が自ら蒐集した美術品を展示するため、2006年に設立したのが茂木本家美術館です。


美術館は、同家の醤油蔵の跡地に建ち、キッコーマン本社に隣接しています。設計は彦坂裕氏、近世から現代まで約4300点の美術品を収蔵し、その中には葛飾北斎や歌川広重の浮世絵、横山大観、梅原龍三郎、小倉遊亀などの絵画もあります。
