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渡辺住研(富士見市)創業者 渡邉定雄さん逝去

東上沿線の不動産業、(株)渡辺住研(本社富士見市、渡邉毅人社長)の創業者・オーナーである渡邉定雄氏が9月27日、86歳で逝去した。

渡邉定雄氏
故渡邉定雄氏

 渡邉定雄氏は、富士見市出身で1974年、鶴瀬駅東口にマツキン(現渡辺住研)という会社を設立。賃貸管理業に進出し地域の有力企業に育て上げるとともに、飲食(後に撤退)、財産ドック、ストレージ、プロパンガス、競売、シエアハウス、民泊など多く事業を立ち上げ住研グループ会長を務めた。2005年に社長・グループ会長を退いた。現在、住研グループとしては渡辺住研の他、住研コンサル、住研川越(3社に資本関係はない)などがある。

渡邉毅人社長のお話

渡邉毅人社長にお話をうかがった。

―毅人社長は定雄氏の息子さんですか。

渡邉 長男です。

―2005年から社長に。

渡邉 2005年に父に慢性の白血病が見つかり、急遽私が2代目の社長に就きました。その時34歳でした。父は、幸いグリベックという薬が記録的に効きまして、20年間発症することなく過ごし別の病気で亡くなりました

-定雄前社長の功績は何だと言ったらよいでしょう。

渡邉 オイルショック、バブル崩壊、リーマンショックで会社をつぶさなかったこと。 すべて乗り越えてきたのはすごいと思います。

-どうしてそれができたのでしょうか。

渡邉 父は生前「自分はこわがりだから」と言っていました。やらなければいけなくてもできなかったこと、チャンスを逃していることもたくさんあったが、その分こわがりだからリスクを軽減できた。無鉄砲はダメ、こわがりの方が経営者としては向いていると。

-渡辺住研の最近の状況はいかがですか。

渡邉 比較的順調に推移しています。ただ人口が明らかに減ってくる時代で、人の採用もなかなか厳しい。パイが小さくなる中で、人がサービスをしなければならない部分がたくさんある。10年20年後に継続してできるか。そろそろやり方、ビジネスモデルを変えていかないと同じレベルのサービス提供は難しい時代に入っているのだろうと感じています。 

2019年6月記事「管理するアパート・マンションの空室が低下 (株)渡辺住研  渡邉毅人社長」