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長谷川清の地域探見(12)今年は卯年

今年(令和5年)は卯年です。卯年にまつわる話については、各種マスコミでも報道されいることから私があえて取り上げる必要は無いのですが、探見者としては「実際のところ卯年の中味か」を調査したくなりました。今回はその調査報告です。

 卯年とは

まずは卯年の卯の字の意味を取り上げます。漢和辞典を引いてみると、卯は左右に開いた扉をかたどり、門を無理に押しあけて中に入りこむ様子を表しているとされます。卯は十二支の中で4番目に位置し、方位は真東、季節は旧暦の2月、時刻は午前6時前後の2時間を意味しています。

では、十二支の4番目がなぜ卯なのか、特別な意味があるのか気になります。調べてみると、古代中国では約12年で天球を一周する木星の運行により方位を決めていたようで、東西南北12の方角毎に子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の文字を北から時計回りに順番に当てはめました。したがって卯が十二支の4番目となっているのは特別な意味はなさそうです(残念!)。

十二支の方位・月次(旧暦)・時刻表

もう一つ注意しなくてはいけないことは、これらの12の文字が動物を意味していないことです。十二支が動物をイメージされるようになったのは、後の時代に十二支を民衆にも普及させようと鼠・牛・虎・兎・龍・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・猪など動物が活用(十二支生肖)したことが始まりとされています。

でも日本ではややこしいことが起こりました。十二支が渡来した際、日本では十二支本来の漢字である子、丑、寅、卯…を、そのまま「ね、うし、とら、う…」と訓読みしてし、十二支と当てはめられた動物と年が不可分一体のものとして理解してしまったのです。そして十二支の動物を日本だけの使い方をするようになりました。人に「お齢は?」と聞いて「ウサギです」と返されても、その方の年齢がすぐに分かるのはその一例です。中国の方に聞くと、十二支の動物は必ず年と一緒に「丑年」「寅年」と言うのが当たり前で、動物だけで年を表現することは無いと教えられました。

これは日本だけでないのですが、十二支に当てはめられた文字や動物が各種の行事に活用されて伝統文化の重要な要素になり、並行して吉凶占いにも活用されるようになりました。卯年の運勢は次のような具合です。

卯の読みは「ボウ」で、十二支占いでは「ボウ」が「おおう」を意味する「冒」に通じていることから、卯は草木が伸び出て地面を覆うようになった状態を表すと解釈されています。これらから卯年は、生あるものが春の日を浴び、動き始める年とされています。また卯の生肖に当てられた「兎(ウサギ)」は、跳びはねることから飛躍するという象徴であり、たくさんの子を産むことから子孫繁栄のシンボルになっています。

 ウサギの性格

ご承知のとおり、十二支の動物は人の性格を表しているとされています。卯(ウサギ)年生まれの方は性格が穏やかで、自己主張があまり強くなく、愛嬌のある柔らかな雰囲気がある向きが多いようです。その一方で、卯年生まれの人は争いごとが苦手で、やや自己主張が弱く、自分の気持ちをハッキリと言うことが出来ずにいるため、「何を考えているかわからない優柔不断な人」と思われる面もあるようです。

ウサギは地中海沿岸が原産地とされますが、現在は世界中にたくさんの種類が分布しています。私たちが馴染んでいる赤目で白毛のウサギは16世紀頃に渡来したウサギを国内で交配して作られた種類と言われます。それが本当だとすると、私たちが子供の頃に教えられた因幡の白兎や国宝の鳥獣戯画に登場するウサギは、現在のウサギと少し異なる容姿をしているのはそれが理由かも知れませんね。

ウサギは非常に神経質な動物です。大きな耳を自由に動かす警戒行動を怠らりません。古くから人の知らない事件や噂などをよく聞き出してくる人物をウサギ耳と言います。またウサギは、危機が迫ると強い脚力を生かして素早く逃げ出します。その速度は時速60~80kmに達するとのこと。まさに脱兎(だっと)で、人間はとても敵いません。

ウサギは、おとなしい性格で力も弱く、敵も多くて生き残るのも大変ですが、その代わり繁殖力が旺盛で子孫を残す力は抜群です。雌ウサギは年中子ウサギを産み、それも一度に4~8匹も生んでしまうことから、あっと言う間に増殖してしまいます。ここから西ヨーロッパの国々ではウサギを多産豊穣・繁栄のシンボルとして扱い、毎年春にキリスト教の西方教会が行う復活祭(イースター祭)では、生命と復活のシンボルとして卵ともにイースター・バニー(ウサギ)が登場します。

絵葉書のイースター・バニー

 浦和の調神社

世界各地にウサギを神の使いとする神話がたくさん残されています。日本でもウサギを神の使いとしている神社が幾つかあってその一つが埼玉県さいたま市浦和区にある調(つき)神社です。

多くの神社は入り口に邪気を祓い、神前を守護する狛犬を配置していますが、調神社では狛犬の代わりに粉兎(ウサギ)が配置され、社殿にはウサギの彫物が施され、手洗舎や池の噴水などにもウサギの像が配されています。

調神社の創建は古く、境内の由緒書には開化天皇の乙酉年3月に奉幣の社として創建されたと記されています。開化天皇の在位を西暦に直すと紀元前100年前後の時期で鵜呑みにできませんが、平安時代中期の延喜5年(905年)に編纂された「延喜式神名帳」に記載されていることからすると、同社は千数百年前に創建されていたと想像されます。

同社には鳥居がありません。同社が伊勢神宮へ納める貢物を納めた倉庫群の一画に造営されたため、創建当初から貢物の搬出入を妨げる鳥居を設置しなかったとのことです。鎌倉時代に衰退した後、南北朝時代の延元二年(1337年)に足利尊氏が奉行の一色範行に命じて荒廃した社殿を復興したと伝えられています。戦国時代末期の天正十八年(1590年)に再び焼失しましたが、江戸時代を通じて徐々に再建され、現在の社殿は安政六年(1859年)に竣工された建物です。

調神社の入口

また、調(つき)の名が月と同じ読みであるところから、月の動物と言われるウサギが神の使いとされ、中世の月待信仰と結び付いて江戸時代、同社は月読社(つきよみしゃ)とも呼ばれていたそうです。

調神社は「ツキを呼ぶ」神社ともいわれ、勝負運や金運のパワースポットとしても知られています。地元浦和レッズの選手や監督が毎シーズン前に必勝祈願に訪れるだけでなく、JRの線路を挟んで浦和競馬場があることから競馬ファンには同社に願をかける向きが少なくないようです。あなたも一度調神社に足を運ばれては如何でしょう。

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 2023年は癸卯(みずのと・う)

話を十二支に戻します。十二支が十干(じっかん)と組み合わされて出来たのが干支(えと)です。十干は古代中国で考えられた10日毎に循環する日の巡りで、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の総称です。それが後年に十二支と組み合わされて年と日とを表示するようになり、さらに陰陽説五行説と結合して構造が複雑化しました。

癸卯(みずのえ・う)は、十干の10番目にあたる癸と十二支の4番目にあたる卯が組み合わされたもので、十干十二支では40番目にあたる組み合わせになります。そして癸は雨、露、霧など静かで温かい大地を潤す恵みの水を表し、十干の最後にあたる癸は生命の終わりを意味するとともに、次の新たな生命が成長し始めている状態を意味しています。

十干十二支で同じ組み合わせが成立するのは60年に1度しかありません。日本でも人生の節目として60歳の還暦をお祝いするのはこの十干十二支の考え方が元になっているとされます。

では過去に癸卯だった年にはどの様なことが起きていたのでしょうか。私を含め昭和生まれの人々が過ごした20世紀には2回の癸卯がありました。1903年(明治37年)と1963年(昭和38年)がそれです。それぞれの年に何が起きたのでしょう。ポイントだけ挙げておきます。

1903年には、6月に米国でフォード・モーターが設立され、12月にはライト兄弟が人類初の動力飛行に成功、日本でも9月に大阪市で日本初の市電が開業するなど交通システムの変革をリードする出来事が続きました。文化面では、米国で大リーグの第1回ワールドシリーズが開催されました。日本では、円盤型のSPレコードが発売され、レコード音楽の普及を刺激しました。

60年後の1963年には、1月にテレビアニメ第1号の「鉄腕アトム」が放映を開始し、7月に日本初の自動車専用の高速道路である名神高速道路が部分開通、11月に初の日米間の衛星中継実験に成功してケネディ大統領暗殺が事件がいち早く伝えられました。芸能界では3月に英国のザ・ビートルズが初の公式アルバムを発売し、6月には後にノーベル文学賞を受賞した米国のボブ・ディランがヒット曲「風に吹かれて」を公表・発売しました。こうした一連の出来事は、情報の大衆化が1963年前後の時期に始まったことを示しています。

21世紀に入って20年以上たった現代社会は、20世紀のそれに比べ大きく変化しました。1903年、1963年は、ともに現在先進国とされる国々の人口が増大し、社会的にはいろいろな問題を抱えながらも経済が順調に成長している状況でした。ところが今年2023年は、同じ癸卯といっても先進国の多くが人口減少社会に転換し、経済の成長力は大きく低下しました。その一方でICTの進化から情報が地球規模で普及して地域間の情報格差が縮小しています。

こうした大きな時代変化の中で迎えた今回の癸卯ですが、私は新たな成長に向かった動きが期待できると考えています。対外関係の変化や円安傾向の定着から製造業の国内回帰が進む一方、農業や漁業などもイノベーションが進んで地域を牽引する新産業に変貌する可能性があります。地域の探見者としては、今年を東奔西走の忙しい年にしたいですね。皆様もお付き合いください。

長谷川清:全国地方銀行協会、松蔭大学経営文化学部教授を経て2018年4月から地域金融研究所主席研究員。研究テーマは地域産業、地域金融。「現場に行って、現物を見て、現実を知る」がモットー。和光市在住。

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