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長谷川清の地域探見(10)埼玉県巨樹番付の横綱

南北の長さ3千kmを超える日本列島には寒帯から亜熱帯まで多様な気候帯があり、四季を通じて豊富な水に恵まれています。台風や大雨は時に水害をもたらして人々に災禍をもたらしますが、各地に多種多様な森林を生み出し、世界有数の森林国日本を形成しています。こうした豊かな自然の下で全国各地に樹齢が千年を超える多くの巨樹が育ち、地域の人々から崇められてきました。

 埼玉県の巨樹

その様な思いを背景に埼玉県にはどの様な巨樹があるのか気になり、ある時にインターネットで検索してみると県教育局が公表している「埼玉県巨樹番付」に行き当たりました。

埼玉県巨樹番付は、県教育委員会が天然記念物に指定されている巨樹に関心を呼び起こそうと、2020(令和2)年にSNSのInstagramを利用して行った巨樹の人気投票の結果をまとめたものです。人気投票の対象になった巨樹は、県の指定木のうち幹が大人二人で抱える程度以上の太さがあり、かつ公開可能な104本の巨樹です。2020(令和2)年の巨樹番付で東西の横綱、大関、関脇、小結にランクされたのは次表の木々でした。この夏、私はコロナ禍に関わらず、巨樹番付で東西の横綱に選ばれた巨樹を訪ねてきました。

埼玉巨樹番付の上位巨樹

       東        西
格付け 名称 所在地 格付け 名称 所在地
横綱 上谷(かみやつ)の大クスノキ 越生町上谷 横綱 八枝神社のケヤキ・エノキ群 上尾市平方
大関 正法寺の大イチョウ 東松山市岩殿 大関 西善寺のコミネカエデ 横瀬町横瀬
関脇 児持スギ ときかわ町西平 関脇 与野の大カヤ さいたま市中央区
小結 姥樫(うばかし) ときかわ町椚平 小結 高山不動の大イチョウ 飯能市高山

 

上谷(かみやつ)の大クスノキ

最初に訪問したのが越生町の上谷の大クスノキ(楠)です。越生町は東上線坂戸駅から分岐する越生線の終着駅「越生」がありますが、私は現地での移動を考慮して車で参りました。

関越自動車道の鶴ヶ島インターから30~40分程で車は越生町に入り、そのまま静かな街中を抜けて越生梅林に向かいます。案内板に従って梅林横の坂道を登ると程なくして駐車スペースに到着、そこから徒歩で山道を少し登るとすぐに右に想像を絶する巨樹が見えてきます。それが埼玉県教育委員会の人気投票では1,267票の「いいね」を集め、堂々の第一を獲得した上谷(かみやつ)の大クスノキです。

上谷の大クスノキを下の広場から見上げると、写真では表現できない程の大きさです。以前は大クスノキの周囲に観賞用のウッドデッキが設置されていたようですが、数年前に西側の幹が折れてデッキを塞いだため、現在は広場に面した南側のデッキしか利用できません。それでも大クスノキを間近で観察しできるのであまり問題はないと思います。

上谷の大クスノキ(全景)

上谷の大クスノキは、主幹が根元で大きく二岐に分岐し、それぞれ数本の大枝が立ちあげる複雑な樹形で、見慣れたクスノキとは随分異なる姿を呈しています。樹齢約1,200年、樹高30m、幹周15mとまさに巨樹です。上谷の大クスノキは、数年前に樹木医による手入れを受けて、樹脂が充填されている所も見られますが、背丈もあり四囲に枝葉を大きく広げて樹勢に衰えは感じません。

クスノキは、アジアの温暖な地域に分布する樹高の高い常緑の照葉樹で、日本では九州から本州の太平洋側に多く分布し、上谷の大クスノキが育った越生はクスノキの北限に近いと言われます。

大きく育つ長寿のクスノキには独特の風格がありますが、ましてや上谷の大クスノキのような巨樹になったクスノキには人々が畏敬の念を与える迫力があります。今日よりもずっと多くのことが神頼み、仏様頼みだったその昔、大クスノキに人々が抱いた畏敬の念は現代人よりもはるかに強かったでしょう。クスノキが神社の境内やその周囲の神社林に植えられ、神木として大切にされたのも頷けます。

上谷の大クスノキ(巨大な幹)

越生の山間部で多くの雑木とともに成長した上谷の大クスノキは、周囲の雑木を従える森の支配者といった印象があります。アニメ映画「となりのトトロ」でトトロが住む巨樹として描かれたのもクスノキでしたが、上宮の大クスノキにはトトロが棲んでいてもおかしくない神秘的な雰囲気も漂っています。

「となりトトロ」の原作者である宮﨑駿さんがどこまで意識されたか分かりませんが、クスノキは防虫剤のほか湿布剤などの成分として古くから暮らしに利用されてきた樟脳の原料です。昔、衣替えの時期になると、通勤電車には樟脳の香りが漂っていたことを思い出します。当時の樟脳はクスノキが原料だったようですが、現在は樟脳の多くが合成薬品となり、香りも以前とはかなり変わり、中には無臭もあるようです。そうした中で、自然志向が強い女性を中心に自然素材のクスノキを原料とした樟脳が再評価されているのは嬉しいことです。

話を上谷の大クスノキに戻して、大クスノキが生育している越生町の歴史を調べるとすぐに出てくるのが太田道灌(おおたどうかん、1432~1486年)です。太田道灌は戦国時代に活躍した武将で、越生の大字龍ヶ谷字山枝庵で生まれたと伝えられています。道灌は相模国の有力大名であった扇谷上杉家の筆頭重臣である家宰(かさい)を務めて幾多の戦を勝ち抜き、扇谷上杉家の勢力拡大に貢献しましたが、その過程で河越城や江戸城などを築城しました。江戸城は、後に徳川幕府により大改築されて日本を代表する城郭になったのは言うまでもありません。

また道灌は、歌人としても名を残した人物で、落語の「道灌」は歌人としての道灌にスポットを当てた出し物です。道灌が活躍した時期、上谷の大クスノキは既に樹齢600年を数える巨樹に成長していましたが、道灌が大クスノキを眺めたかどうか分かりません。眺めていれば、多分、歌にした可能性があります。ご承知の方は本誌までお寄せください。

八枝神社のケヤキ・エノキ群

次にお邪魔したのが東上線沿線からみると荒川の対岸にある上尾市の八枝神社です。八枝神社は荒川が作った河岸段丘にあって、川越側からは荒川をまたぐ開平橋を渡り切った左側にある集落の一画にあります

巨樹に囲まれた上尾の八枝神社

八枝神社の創建年代は不詳ですが、江戸時代は神仏習合の神である牛頭(ごず)天王を祭神とする天王社(または牛頭天王社)で、天台宗の正覚寺に属していたとされます。天王社は明治初期の廃仏毀釈で京都八坂神社の枝社となり、現在の八枝神社と改名、1919(大正8)年に幣殿や拝殿が整備されて今日に至っています。

八枝神社の拝殿は、樹齢500~600年とされるケヤキ(欅)とエノキ(榎)の巨樹群に囲まれ、神社全体が巨大な緑の傘に覆われてています。巨樹の根は地表に盛り上がり、樹高は天を突く高さで、埼玉県巨樹番付で1,145票の「いいね」を獲得した西の横綱に相応しい貫禄です。

八枝神社の御神木であるケヤキは、中国、朝鮮、日本などの東アジアに分布するニレ科ケヤキ属の落葉高木で、高さ30mを超すものもあるのはご承知の通りです。ケヤキは春の新緑や秋の紅葉が美しい樹木で、徳川幕府がケヤキの植樹を奨励したこともあって各地にケヤキの巨樹や銘木が数多く生育し、寺社の御神木として大切にされている木も珍しくありません。

一方のエノキは、北海道を除く日本各地に自生するアサ科の落葉樹で、山地や雑木林の縁、川沿いなどで普通に見られる高木ですが、枝分かれが多くて大きな緑陰を作ることができるためケヤキやムクノキなどと一緒に植えられることが多いようです。エノキが社寺に好まれたのは、その名が「縁」に通じることが意識されたと言われます。関連してその昔エノキは、「縁結びの木」あるいは「縁切りの木(縁切りエノキ)」として使われたようで、複雑な男女関係を仲立ちする重要な大切な役割を果たしていたわけですね。

読者の中には八枝神社と聞いて、「どろいんきょ」を思い出す方もいるかも知れません。平方の「どろいんきょ」は、毎年7月に行われる平方祇園祭で八枝神社を出発した神輿が地区内の神酒所を廻る際、水でぬかるんだ泥に担ぎ手だけでなく神輿も横転させて泥だらけになって家内安全・無病息災・悪病退散を祈る行事です。この行事は巨樹と直接の関係を持っていませんが、共に地域の人々から強い支持を受けていることは確かです。

平方祇園祭の「どろいんきょ」(八枝神社提供)

 神格化の要因

日本だけでなく海外でも巨樹や老木は畏怖され神格化されてきました。巨樹が神格化された要因として次の二つが考えられます。

第一はその容姿でしょう。数十メートルに及ぶ樹高は誰もが驚きます。古代の人々は天空を超える高みに神が存在するとし、塔を建て神に近づこうとしました。世界各地に残る塔の遺跡はそれを表しています。高木化した巨樹も、その昔は天地を繋ぐ存在として崇められていました。また何人もの人が手を繋がなければ届かない太い幹、大地に深く入り込んで巨樹を支える太い根は、巨樹の生命力を端的に表現し、巨樹の神格化に寄与しています。

八枝神社の大ケヤキ

二つ目は極端に長い樹齢です。今回登場した巨樹の樹齢は、上谷の大クスノキは約1,200年、八枝神社のケヤキ・エノキ群は少し若くて600年程と極めて長寿です。樹木が長寿であるためには、いろいろな災禍を潜り抜ける必要があります。彼らを襲う災禍は、台風、地震などの自然災害、山火事、環境変化による土壌喪失、動物達の食害、戦争の災禍、木材エネルギーを求める人間による伐採など多様です。これらの災禍を潜り抜け、人間の寿命をはるかに超える年月を生きてきた巨樹は、巨樹の長い樹齢自体が私たちに強い感動を与えてくれます。

以上のような巨樹を神格化させる要因は、この先も大きな変化は見込まれません。むしろ国の内外共に政治経済が混乱し、近隣諸国との関係悪化が進む状況では、人々の間で不安感が増幅する可能性が否定できません。

そうした人々にとって巨樹は頼もしく、不安感を和らげる存在として再評価されると私は思っています。試しにお近くの巨樹に手の平をあて、目をつぶってください。しばらくすると、巨樹の「気」があなたに伝わり、手の平が暖かくなって気持ちが落ち着きます。それは巨樹が如何に人間にとって大切なものかを教えてくれる瞬間でもあります。

長谷川清:全国地方銀行協会、松蔭大学経営文化学部教授を経て2018年4月から地域金融研究所主席研究員。研究テーマは地域産業、地域金融。「現場に行って、現物を見て、現実を知る」がモットー。和光市在住。

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