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企画展「戦争の記憶―火工廠建設と戦時の手紙―」 上福岡歴史民俗資料館(ふじみ野市)

ふじみ野市役所、大日本印刷(株)上福岡工場(DNPファインオプトロクス)、日清紡マイクロデバイス(株)川越事業所、日本無線(株)川越事業所、日本無線硝子(株)、URコンフォール上野台団地(旧上野台団地)、イオンタウンふじみ野など大型施設が集中する、現在のふじみ野市の中核部分には戦時中、旧陸軍の弾薬工場、陸軍造兵廠川越製作所(通称・火工廠)が置かれていた。上福岡歴史民俗資料館で企画展「戦争の記憶―火工廠建設と戦時の手紙―」が開かれ(2025年9月21日まで)、火工廠建設時の興味深い写真などが展示されていたので、その一部を紹介したい。

火工廠模型
火工廠模型(上福岡歴史民俗資料館常設展示)
火工廠で製造されていたもの
火工廠で製造されていたもの

  火工廠は、王子にあった陸軍造兵廠東京工廠火具製造所福岡工場として昭和11年11月に工事が始まり(用地買収は昭和4年から)、翌12年12月に操業を開始した。その後工廠建設と操業が並行して行われ、昭和17年8月から独立した東京第一陸軍造兵廠川越製作所となり所長は大佐となった。本企画展に出展されている写真の多くは、工場建設から戦後の残務整理まで担い陸軍技術少佐であった杉本氏が所持し、没後、遺族から市に寄贈したものという。

  • 土塁の土を運んで固める作業

 建設はわずか1年で操業開始という突貫工事で、土塁も人手で土を運び上げて築いた。

  • 13年1月の正門付近の工事進捗状況

  13年1月当時の工事風景の写真を見ると、工廠の後方に無線局舎(福岡受信所)と何本ものアンテナが立っている。福岡受信所は海外からの無線受信のため昭和2年に開局しており、上福岡が造兵廠用地に選定された理由の一つとされる。アンテナは昭和40年代まで残り、局舎跡には現在KDDI総合研究所が建っている。

  • 建設中の給水塔
建設中の給水塔
建設中の給水塔
給水塔
取り壊される前の給水塔(ふじみ野市ホームページ)

給水塔(水槽塔)は高さ25㍍あり、所内で最も高い建物であった。戦後も、平成16年まで、上野台小学校近くに残されていた。

  • 九九式小銃

2004年第二小学校跡地から出土した。昭和14年に陸軍で採用され主力となった小銃。射撃の他銃剣を備え槍としても使える。菊の紋章が彫られている。

九九式小銃

火工廠物語

陶製爆弾

 

歴史
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