池袋から秩父までを結ぶ西武池袋線・秩父線は、元々大正4年に池袋・飯能間の武蔵野鉄道として開通し、今年で110周年を迎えた。練馬区立石神井公園ふるさと文化館では、「武蔵野鉄道開通110周年」と題する企画展を開き(2025年4月~6月)、鉄道と沿線地域の歴史を紹介した。展示では、沿線のうち石神井地域を中心とした練馬区内の駅開設の経緯、観光地・住宅地としての発展など、興味深い事例が明らかにされた。(記事は、同館学芸員の小宮佐知子さんのお話、展示資料などにもとづき作成しました。画像として展示資料の一部を使用しています)

武蔵野鉄道開設に石神井の人達も積極的に陳情
武蔵野鉄道は明治45年に会社が設立され、大正4年に開通しました。今年開通110周年を迎えます。開業時の駅は、池袋、東長崎、練馬、石神井(現石神井公園)、保谷、東久留米、所澤、小手指、元狭山、豊岡町、佛子、飯能でした。鉄道開設の中心になったのは飯能の人たちですが、練馬区内、特に石神井の人たちも積極的に働きかけ発起人になっています。


石神井駅の場所に関する陳情書が残っています。三宝寺池周辺は風光明媚で江戸時代から人の訪れる場所で、また現在の練馬高野台駅付近の長命寺という寺は東高野山の山号を持ち有名でしたので、中間地点に駅を作ってくれと陳情しています。駅用地は地元の人達が寄付。記念の碑が石神井公園駅前に建っています。


石神井の観光 三宝寺池に日本初100メートルプール、水上自転車



開通時の武蔵野鉄道の広告には、石神井駅周辺の名所として、東高野山(長命寺)、豊田園、三宝寺池、石神井城址が紹介され、お土産として各絵葉書も発行されています。三宝寺池は湧き水が湧き、井の頭池、善福寺池と並び武蔵野三大湧水と言われています。
豊田園は、資産家で鉄道誘致に尽力した豊田銀右衛門が大正2年頃、現在の石神井池北台地に造った日本庭園です。現在、その一部が石神井公園記念庭園として残っています。

大正9年、三宝寺池から湧き出る水を利用して日本初の100㍍プールが建設されました。プールは昭和16年まで営業し、戦後は釣り堀、今は水辺観察園になっています。他にも三宝寺池で水上自転車を運営したり、人工の滝を造ったり、観光客を集めるためにいろいろなことが試みられています。


ボート池のある石神井池は人工の池です。元々は田んぼで、大正の終わりから養魚場、釣り堀になっていたのを昭和9年に池にしました。
大正から昭和にかけては、東上鉄道(現東武東上線)が大正3年に、昭和2年に西武鉄道村山線(高田馬場・川越間)が開通、都心から近郊に向う鉄道が整備されました。武蔵野鉄道は大正14年に電化が行われました。
豊島園の開業 実業家の藤田好三郎
沿線の観光名所として、大正15年豊島園が開業しました。豊島園は実業家の藤田好三郎が豊島城址と周辺を整備し自然豊かな庭園として造った。昭和2年に西武豊島線豊島駅(豊島園駅)が開設、園も全面開業、プール、遊具など設備も設置し家族で楽しめる場所として発展します。昭和16年に武蔵野鉄道の経営となりました。


「新別荘地」石神井
ハイキングも昭和になるとブームになり、鉄道会社もハイキングコースを企画。一方で、武蔵野鉄道は不動産課を設け住宅地開発にも乗り出します。
石神井の周辺は、鉄道開通で別荘地・郊外住宅地として注目されるようになります。国民新聞調査の「別荘地競争」で石神井は14番に選ばれています。石神井村の観光案内では、「新別荘地」として売り出しています。三宝寺駅周辺は昭和5年に風致地区に指定され、石神井風致協会によって自然の景観を守りながら宅地開発も行われました。
大泉学園周辺 堤康次郎率いる箱根土地株式会社による大規模な住宅地開発
大泉学園周辺では、堤康次郎率いる箱根土地株式会社(後のコクド)による大規模な住宅地開発が進められました。箱根土地は大正13年東大泉駅(現大泉学園駅)を開設し武蔵野鉄道に寄付しました。分譲地は「富士を眺め都内の高台総面積50万坪」と広告され、駅から遠いので乗合馬車を走らせました。大泉学園には大学を誘致する計画でしたが、実現しませんでした。京都太秦の新興キネマ現代演劇部が大泉に新築移転してきました(現東映撮影所)。

江古田駅
江古田駅周辺は、大正11年、初の7年制高校である武蔵高等学校が開校、同年仮停車場ができ翌年江古田駅になりました。昭和初期から同潤会が戸建て住宅を建設、駅周辺の開発が進み、武蔵野音楽学校(昭和4年、現武蔵野音楽大学)、日本大学法文学部芸術科(昭和14年、現日大芸術学部)と学校の進出が相次ぎました。

戦後西武鉄道に
武蔵野鉄道は昭和20年、西武鉄道、食糧増産(株)が合併し西武農業鉄道になり、翌21年西武鉄道に改称され、西武鉄道の一路線になりました。戦時中から当時汚穢(おわい)電車と呼ばれた、都心部の糞尿を運ぶ専用電車が走りました。

狭山丘陵一帯の開発
西武鉄道は、狭山丘陵一帯の土地を購入し、都民のリクリエーション基地として開発を進めました。昭和25年には東村山文化園(後の西武園)、翌年ユネスコ村を開園。軽便鉄道のおとぎ線は27年に地方鉄道の山口線に改称しました。村山競輪場(現西武園競輪場、昭和25年)、狭山スキー場(昭和39年)、西武ライオンズ球場(昭和54年)と、施設が開設されました。

昭和44年、西武秩父線が開通
昭和44年、西武秩父線が開通、特急レッドアローの運行が始まりました。昭和58年、西武有楽町線が開通(練馬・小竹向原間は平成6年)、現在は5社共同で特急「Fライナー」が運行されています。西武鉄道全線で1200両の車両が活躍しています。