現在のふじみ野市の中核部分にあたる55万㎡(終戦時、東京ドーム12個分)の広大な敷地には戦時中、旧陸軍の弾薬工場、陸軍造兵廠川越製作所(通称・火工廠)が置かれていた。現在は、市役所、大日本印刷(株)上福岡工場、日清紡マイクロデバイス(株)川越事業所、URコンフォール上野台団地(旧上野台団地)、イオンタウンふじみ野など大型施設が建ち並ぶが、歩けば各所に弾薬工場の痕跡が残っている。文京学院大学まちづくり研究センター(岩舘豊センター長)は、2025年12月13日、「記憶をつなぐまちあるき」と題し火工廠跡地をめぐる見学会を開催、研究センターメンバーの学生さんと「火工廠」語り継ぐ会の熊谷洋興さんに現地をご案内いただいた。

「陸軍用地」と刻まれた境杭

・火工廠についてと境杭の説明板です。看板の下にある境杭は、火工廠正門近くにあったものです。「陸軍用地」と書かれています。
・上福岡駅敷地寄付記念碑。東上鉄道(現東武東上線)が大正3年5月開業し上福岡駅が開設された時土地を寄付した人たちを顕彰した碑です。裏に寄付者の名が刻んであります。駅前にありましたが、中央公園に移転してきました。

・昭和20年当時の東上線の定期券です。学生で年齢18歳と記してあります。学生が動員されて火工廠で働いていましたので、その通勤に使われたものと考えられます。

・「陸軍用地」と刻んだ境杭。当時からのものです。工場敷地の周辺に打たれていました。

・南門前境杭。当時のものです。

防爆の土塁の土を掘った跡
・福岡中学校の校庭ですが、校舎のある場所より窪んでいる。火工廠は防爆の土塁が各所にあり、そのための土を掘った跡です。

<上福岡歴史民俗資料館>
・防爆壁の写真。火工廠は、周りをコンクリート塀で囲み、内側に樹木が植えられていました。建物の周りは土塁を築き、防爆壁は高いコンクリートで爆風を防ぎました。

・火工廠では銃弾、爆弾の他、近くの民間工場で陶製手榴弾も作っていました。

・承役地の標石。承役地は他人の土地を使用できる権利。火工廠の周りの農家の土地を使用できるよう承役権を設定しました。

火工廠の塀、内側には目隠しの樹木
・当時の塀です。30cmの板が7枚重なっています。右は権現山古墳です。

・右側に新河岸川が流れています。塀が他と違う造りとなっているところがあり、そこに東門があったとみられます。東門の先には実弾射撃の試射場がありました。

・塀に沿って木が植えられている。覗かれないようにしたわけです。

・官舎門跡です。近くに神社がありましたが、今は三社公園に移転しています。

・大日本印刷(株)上福岡工場(DNPファインオプトロクス)の正門です。乾門がここにあったとみられます。

2本のヒマラヤ杉
・遠くに見える茶色のビル(マンション)が火工廠の給水塔が建っていた場所です。

(ふじみ野市ホームページ)

・イオンタウンふじみ野敷地にヒマラヤ杉が立っています。昔はいっぱいあったが伐採されて2本だけ残りました。王子にあった造兵廠から移植されたものとの説があり、樹齢は推定100年以上、胴回りは4mあります。

・ふじみ野市役所庁舎の建つあたりが火工廠の正門だったと言われています。

・かつての上野台団地(現URコンフォール上野台団地)の写真です。

・ここが西門のあったところです。

