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藤堂高虎と上野動物園

久々に上野動物園を訪れた。たまには動物を見たかったこともあるが、藤堂高虎の史跡があると聞いて、気になっていたからだ。藤堂高虎は豊臣家に仕えたが関ヶ原以降は徳川家康の側近、伊勢津藩の初代藩主になった。今の上野動物園、上野東照宮付近は、高虎の下屋敷だった。臨終間際の床にある家康を、高虎と天海僧正が見舞いに行った際、家康から「3人の魂が末永くとどまる場所をつくってくれ」と言われ、家康の13回忌にあたる寛永4年(1627)下屋敷に東照宮を造営した(今の東照宮の建物は将軍家光が建て替えたもの)。

上野東照宮
上野東照宮
東照宮略記
東照宮略記

同じ時期、東照宮のすぐとなりに寒松院というお寺を建て、茶室など客をもてなす施設も設けた。上野の山一帯には、寛永2年に天海増正が寛永寺を開いており、東照宮や寒松院は寛永寺境内に存在したことになる。高虎は寒松院に葬られ、寺は現在は国立博物館の隣接地に移転したが、墓は上野動物園内に残っている。茶室「閑々亭」は上野戦争で焼けたが復元された。墓所は公開されておらず墓石がかいま見られるだけだが、茶室は外からだが見学できる。動物園には異質な風景だが、外国人にはかえって人気のようだ。 (参考文献『江戸・東京ゆうゆう散歩』河合敦)

藤堂高虎の墓所
藤堂高虎の墓所
茶室閑々亭
茶室閑々亭
閑々亭説明板
閑々亭説明板

上野にあった下屋敷を東照宮、寒松院として返上し、高虎は下屋敷を現在の巣鴨駅近く、染井に写した。桜の「ソメイヨシノ」発祥の地。この染井屋敷にあった石造物が、現在板橋区の東京大仏境内にある。私はこれを見て、藤堂高虎に興味を持った。記事

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東上沿線物語
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