埼玉県は麦栽培が盛んだ。主に県北部で水田の二毛作作物としてつくられる。それには、熊谷出身で明治から大正にかけて活躍した「麦翁」(ばくおう)権田愛三の貢献があり、またドロツケと呼ばれる伝統客土農法もあずかっている。埼玉が「うどん王国」となったのも豊富な麦生産のたまものでもある。県立川の博物館(寄居町)で2025年2月に開かれた企画展「麦の国さいたま」の内容を元に同館学芸員の森圭子さんにご説明いただいた。
大麦から小麦に切り替わり
麦には、小麦、六条大麦、はだか麦、二条大麦があります。江戸時代から昭和の初めにかけては大麦の栽培の方が一般的でしたが、小麦を粉にする技術と、小麦を食べる文化が浸透し、入れ替わりました。その後昭和38年の「サンパチ豪雪」・異常気象で麦生産はガクンと落ち込んでしまいました。近年は大麦の生産は低水準ですが、政府の政策もあり、小麦はゆるやかに回復しています。

埼玉は熊谷など北部の麦生産が多い
埼玉県は昔から麦生産が多く、2023年の小麦収穫量は全国8位です。県内では、県北部の利根川・荒川流域の低地が中心で、熊谷市が県内小麦生産の約3分の1を占めています。熊谷での麦生産には、権田愛三の存在も関係しています。

権田式麦作改良法
権田愛三(1850~1928)は、大里郡東別府村(現熊谷市)の出身です。元々農家ですが、明治21年(1888)に近隣の青年を組織し青年農事奨励会を設立、権田式麦作改良法を開発します。

権田式麦作改良法は、麦の栽培に関しどうすれば収量が上がるか試験を繰り返し、方法を示したもので、①株の上から土を振りかける土入れ、②芽が出た後の麦を踏む麦踏み、③有機質肥料を重視した土作り、などがその特徴です。土入れのために、竹を編んだフリコミジョレンという農具を考案しました。
権田の提案で設立した農事試験場で麦の品種改良
権田は、埼玉県農会の役員に就任、県内の農業技術の向上に努め、その提案で明治33年に県立農事試験場(現在の県農業技術研究センター)が設立されました。同センターは麦の品種改良にも取り組み、埼玉県の小麦の単位収量は長い間全国平均を上回っていました。また、権田の働きかけで明治35年(1902)に県立甲種熊谷農学校(現熊谷農業高校)が設立されました。
全国で講演会
明治42年(1909)には初の著書『実験 麦作栽培改良法』を刊行、ベストセラーになりました。以降、全国各地から招聘されて講演会を開きました。権田式麦作改良法は全国に普及、「麦翁(王)」と讃えられました。
「ボロ先生」
権田は、偉ぶらない徳のある人だったようです。講演に行った先でも、ボロボロな服を着て質素な格好をしているので、最初先生だとわからなかったとか、「ボロ先生」とあだ名がつけられたという話が残っています。
ドロツケ
埼玉の麦生産には、ドロツケという農法も関わっています。特に、荒川沿いの大宮台地の西縁で、川の氾濫原の低地の肥沃な土を冬の間に運び上げてまいて土を改良した。麦作に効果が大きかったそうで、昭和の初めまで続けられていたようです。
「うどん王国」埼玉
麦作は埼玉の食文化にも影響しています。埼玉は江戸時代からうどんが日常的に食べられ、2023年の和風麺出荷額は全国1位、「うどん王国」と呼ばれています。「冷や汁」(入間郡・県北)、「すったて」(川島町)、「おっきりこみ」(秩父)、「煮ぼうとう」(深谷)、「ひもかわ・打ち入れ」(入間郡・比企郡)、「加須うどん」、「武蔵野うどん」などの郷土料理があります。小川素麺は、小川町で水車で小麦をついて作り特産品でした。
麦を使った発酵食品、ビールとウイスキーの醸造用「ゴールデンメロン」
醤油、味噌など麦を使った発酵食品もあります。秩父地方の「おなめ」は大麦と大豆を使った麹に香味野菜を加えて発酵させたものです。ビールとウイスキーの醸造に適しているのは、大麦の中でも粒が大きく揃った二条大麦です。県内では農事試験場により「ゴールデンメロン」の栽培が進められ、明治39年(1906)には渋沢栄一が取締役を務める大日本麦酒に供給されました。現在は秩父市で「ゴールデンメロン埼1号」がウイスキー用に栽培されています。
麦わら帽子 春日部の田中帽子店
麦わらは屋根の葺き替え、麦わら細工、麦わら帽子などに利用されてきました。春日部の田中帽子店は、全国の半分以上を製造してますが、麦わらは輸入しているそうです。
(取材2026年7月)
