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沿線歴史点描⑬ 沿線地名・駅名を訪ねて その③  同一地名「福岡」、「松山」など 山下龍男

いきなり私事で恐縮だが、大学入学直後のこと、クラス全員の自己紹介があった。それぞれの姓名と出身高校を述べる簡単なものだが、私の「出身校は松山高校です」の言葉を受け担任は「お、はじめて四国の出身者が出たね」と声を上げた。すかさず私が「いえ、愛媛ではなく埼玉の松山高校です」と言うと、教室は爆笑の渦となってしまった。なぜ皆が笑ったのか今でもわからないが、松山といえば四国と考えるのが当時も今も一般的なことは確かだ。

珍しくない同一地名

 学校名にかぎらず駅名・地名が同一というのはそう珍しいことではない。東上沿線の地名も、前号で触れたような商業的目的でつけられた珍地名を除けば、そのほとんどは全国に同一あるいは類似の地名があるといってよい。珍しいといわれる「越生」という地名でさえ、群馬県昭和村に「生越(おごせ)」という同一地名がある。地名の多くが地形など土地の自然条件に由来することを考えれば、同一地名が発生することは不思議ではない。

 しかし、その同一地名のひとつが全国的にメジャーな地位を獲得すると、それ以外は必要以上に肩身が狭くなるものである。東上線の上福岡や東松山がその例といえよう。ネット上では上福岡や東松山が九州の福岡や愛媛の松山のパクリ地名だなどという無責任な噂も流れる始末である。

 ネット上の落書きにいちいち目くじらを立てることもないが、嘘も百回繰り返せば真実になる例もある。ここでは東松山と上福岡の名誉のために、地名の由来を確認してみよう。

「福岡」の由来

九州の福岡は初代福岡藩主となる黒田長政が関ヶ原合戦の功績で筑前一国を与えられ、慶長61601)年、貿易都市博多の西に新たに城を築き、黒田家の故地である備前国(岡山県)福岡にちなんで福岡城と命名した。これが九州・福岡市の地名由来だ。かたや上福岡駅・上福岡市のもととなった福岡の地名は、すでに永禄年間(15581570)成立の「小田原衆所領役帳」という戦国大名・後北条氏の家臣団諸役賦課台帳に掲載されており、九州福岡の地名成立より古いことは確実である。

「松山」の由来

埼玉県と愛媛県の松山の地名起源を比べてみよう。じつは愛媛の松山も先の福岡と同じような事情で地名がつけられている。松山藩初代藩主加藤嘉明が関ヶ原の戦功で加増され、道後平野の中央にそびえる勝山丘陵に新しく城を築き松山城と命名した。慶長81603)年のことで、これが愛媛県松山の地名発生である。それに対し埼玉県の松山は、すでに応永161409)年の古文書に「松山本郷」とその名が表れており、愛媛の松山より古い地名であることは確実だ。

二つの「川越」

東上沿線地名のほうがメジャーな例もある。川越がその例だ。三重県の四日市と桑名の中間、伊勢湾に面して川越町という同一地名の自治体がある。こちらの川越は明治22年に周辺9村の合併により新しく作られた地名だ。埼玉の川越は、坂東八平氏の一つ秩父氏の嫡流が平安時代末期に河越に本拠を移し河越氏を名乗ったことからもわかるように、平安時代以来の地名である。日本テレビの高等学校クイズ選手権で三重県の川越高校が出場した際、生徒たちが「埼玉ではなく三重の川越高校です」と断っていたが、これなど、冒頭の私の松山高校の立場とよく似ている。

しかし、全国各地の松山も福岡も川越も、地名としての新旧や由来はさまざまだが、いずれもまっとうな地名である。レベルの低い親ほど我が子に珍名・奇名を付けたがるというが、近頃はやりの珍奇な新自治体名も、同じくそこに住む住民や自治体職員のレベルの低さを想像させる。

(本記事は「東上沿線物語」第24号=20097月に掲載したものを20217月に再掲載しました)

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